2月 15

電子音楽なう! Vol.5 in 大阪 ( 20160318 )

電子音楽なう! Vol.5 in 大阪
2016年3月18日(金)
18:30 開場
19:00 開演
料金:2,000円
会場:Namba BEARS ( http://namba-bears.main.jp )

 

出演:

成本 理香
The Sealed Forest II for flute and electroacoustics
(フルート: 丹下 聡子)

Molecule Plane
Acousticophillia

門脇 治
オーロラ #2.5

RAKASU PROJECT.
見えない音

石上 和也+かつふじ たまこ+泉川 獅道
Wabient Sabient – 侘び縁と 寂び縁と – ver0.0

由雄 正恒
Air No.3 for Leap-motion and Max (2016)

 

企画構成:
石上 和也 かつふじ たまこ 泉川 獅道 由雄 正恒
主催:
日本電子音楽協会

お問い合わせ:
石上 和也 mail@neus318.com

電子音楽なう!20160318out 電子音楽なう!20160318ウラout

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2月 07

JSEM電子音楽カレンダー/2016年2月のピックアップ

 

 

JSEM電子音楽カレンダーでは、担当の川崎弘二が、カレンダーに掲載されている各種イベントを「今月のピックアップ」として月イチでご紹介しております。

2016 年 2 月に開催されるイベントから、1 月から 2 月にかけて NTT インターコミュニケーション・センターにて開催されている「オープン・スペース 2015 情報科学芸術大学院大学[IAMAS] 車輪の再発明プロジェクト #6」をピックアップいたします。こちらのイベントにて作品を発表されている johnsmith さんに電子メールでお話しをお伺いしました。

 

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オープン・スペース 2015 情報科学芸術大学院大学[IAMAS] 車輪の再発明プロジェクト #6

日 程:2016 年 1 月13 日 (水)〜
会 場:NTT インターコミュニケーション・センター(東京)

johnsmith / 超超短距離電信装置 (2016)
johnsmith / Choose one, if you want. (2016)
johnsmith / 運動ーコイルと磁石の場合 (2016)
大島拓郎 / ソノラマ「このはら」(2016)
高見安紗美 / Strip Sound Source Speaker (2016)
上田真平 / 1 / 0 / 1 (2016)
佐藤大海 / ふれる 分離されたピックアップの機構と振り子によるエレキギター (2016)
具志堅裕介 / BODY/SHADOW (2016)

http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2015/Openspace2015/Works/Re_inventing_the_Wheel_j.html

 

■ johnsmith さんは 2013 年から 2015 年にかけて情報科学芸術大学院大学(IAMAS)にて学ばれています。IAMAS へと進まれた経緯や IAMAS でのご研鑽などについてお話しいただけますか。

intro
IAMAS への入学を志したきっかけは学部時代の恩師の助言です。

元々私は多摩美術大学の久保田晃弘教授と三上晴子教授のもとで学んでいたのですが、学部四年の中盤頃、将来を決めあぐねていた私は一念発起して何としてでも大学生活を延長したい、優雅なるモラトリアムこそ人間を成長させる最も尊きものであろう、と思い大学院への進学を考え始めていました。

しかし、大学というのは閉鎖的な環境なので、あまり他の大学との関わりもないし、この頃のわたしは作品制作以外全くしていないという状況でしたので、他の学生以上にその傾向が強かったんです。関東圏の予備校生が東京藝術大学と五美大(女子美術大学、多摩美術大学、東京造形大学、日本大学藝術学部、武蔵野美術大学)を目指すのと同じように、漠然と芸大かタマビの院が良かろう、と思ったわけですね。ところが、先立つものがない、という現実的な問題に直面するわけです。となると学費が高い私立美大であるタマビはどうやっても志望できないわけです。というわけで藝大を受けるか、しかし藝大は学部時代に 2 次試験の面接で落ちている。講師陣もさして変わっていない訳で、正味な話受かる訳ないだろうと思ってました。

で、そんな時にIAMASの存在を知ったんですね、ドイツ留学の時や様々な進退を決める時に助言をいただいていた三上先生に「マルちゃん(本名由来のあだ名)なら城くんがいいんじゃない?」と言われて、それから現在の主査である城一裕先生について調べてみました。

入学してからは基本的に身体表現を主に研究していたのですが、あるとき三輪眞弘教授の『インターネット・ストリーミングに接続された筋肉刺激装置による「流星礼拝」』というパフォーマンスを見たんですね。それですごい衝撃を受けた。ここで全部やられてるわけです。僕のやりたかったことが、もう、全部。

簡単に説明してしまうと、システム的には電気を筋肉に流して表情を変化させる真鍋大度さんの『electric stimulus to face』と似たようなシステムなのですが、この作品では鈴を持った演者の腕に電極を取り付けて、電気刺激で腕を強制的に運動させて演奏させるんです。ここで舞台に立つ人というのは、全く訓練を受けていない、というかもっと言えば、電気刺激で動く筋肉さえ持っていればいいわけです。演劇やダンスなどで言われる、「特権的肉体」の全く存在しないパフォーマンスなわけです。まさに僕が理想とする舞台表現だったんですね。おそらく後にも先にも僕はあれより素晴らしいパフォーマンスを見ることはないでしょう。というわけで、僕はそれを見て一度パフォーマンスからは離れたものを作ってみるべきだ、と思ったんです。それから城先生のもとで音響学に基づく作品制作を始めました。

 

■2013 年11 月にスロヴェニアにて開催された、MFRU(International Festival of Computer Arts)、同年 12 月の九州大学における「インターカレッジコンピュータ音楽コンサート2013」などで、johnsmith さんはパフォーマンスで参加されています。こうした機会に行われたパフォーマンスについてお話しいただけますか。

寺山修司の詩に「踊りたいけど踊れない」という言葉があります。

学部時代から僕はデジタルデバイスを使った身体表現の研究していました。ダンスなどの専門的な教育を受けていない人間がいかに人前に立つことができるのか、という観点で制作した作品群がこれらのイベントで上演された作品になります。

これらの作品は僕自身の、楽器が演奏できたりダンスができる人に対するルサンチマンの発露で、つまりシャイで人前に立つのが苦手な自分がいかにして彼らより目立つことができるか、という試みだったんですね。まず踊れない人というのはリズムが取れません。楽器ができない人というのは楽譜が読めませんし(一応ちょっとは読めますが)、耳障りのいい音を奏でることができません。そのような障害をいかにして乗り越えることができるかと考えて、コンピュータ技術やセンサー類を使って踊れない理由を一つ一つ潰していく、という工程を経ています。

はじめは YAMAHA の「Miburi」というウェアラブル楽器を参考に、音楽に合わせて体を動かすのでなく、体の動きによって音を生成することで、逆説的にその行為をダンスと言い張れないか、という方向性を模索しました。

2010 年に多摩美術大学内で行った最初の上演はひどいもので、システム的には靴に仕込んだスイッチを踏み込むことでリズムを構成し、指の曲げで音響を作っていく、というものだったのですが、まずリズムを作ることができず、指の曲げだけだと体の動きを規定するものが何もないので、結局このデバイスだけでは踊ることができず、ただ私が赤面するばかりでした。

その後、音響をリズムに依拠しないアンビエントなものに、体に複数のセンサーをつけ体の傾きなどの様々な情報を使って音響を生成するのではなく、身体の動きによって音響を制御する、という構造を持たせました。能動的に踊る、というのは素人には難しいですね、拍子はずれな動きをした時に笑われるのではないか、みたいな恐怖がある。だから構造的に踊るのではなく、踊らされる、踊らざるを得ない、そういう構造を持たせるべきだろう、と。

それでなんとか人前で踊れるようになりました。そうなってくると今度は舞台を演出したくなってくるんですね、でもシャイだから他のスタッフさんにやってもらうのではなく自分一人でなんとかしたい。というわけで山川冬樹さんの電球を使った心音のパフォーマンスと、クワクボリョウタさんの『 10 番目の感傷(点・線・面)』を参考に自分の身体を電球によって壁面に大きく投影する。というアイディアを思いつきました。電球との位置関係で作り出す影は舞台の背面や客席にも届きます。自分の身体によって干渉できる範囲を舞台から客席まで拡大するわけです。

こうやって出来上がったパフォーマンスが『This is not.』です。その後、この作品で用いた電球との位置関係で映像表現のように自分の身体よりも大きなイメージ(視覚情報)を操作できる、という点に興味が移り、電球の発する電磁波を身体をアンテナにして受信し音響を生成する『Electro Voice』を制作しました。その制作の延長で、電気信号を自分の体を通して、舞台上のオーディオ端子に接続されたもう一人の人間に接触することで通電させ、人間を通過した電気によるノイズ音響を作り出すパフォーマンス『彼と彼女の間に流れる電流の相互関係に見る彼と彼女の関係性について』を制作しました。

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現在では自分で演じるのではなく、舞踏譜を記述することで他人に踊ってもらう、という方向にシフトしてきています。これまでの作品では自分が踊れないことをごまかすために要素過多になる傾向が強かったので、演者に伝わるように舞踏譜を記述する過程で本当に見せたいものを絞り込むような制作手法を試みています。

 

■ 2014 年 11 月に洗足学園音楽大学にて開催された「インターカレッジ・ソニック・アーツ・フェスティバル 2014」と、2015 年 2 月に開催された「IAMAS 2015」において、「Toru: モスキート音によって年の功を逆転させるあそび」を発表されています。この作品の詳細は先端芸術音楽創作学会の会報に掲載されていますが、ご自身のパフォーマンスと「Toru」のような作品は、ご自身ではどのような関係にあるとお考えでしょうか。

僕にとってはこれらの作品とパフォーマンス作品に優劣をつけるというような意識はないです。ただ、僕自身、身体表現にしてもなんにしても何かしらの専門家であるというふうには考えていないので、それぞれの分野から得たものを使って、芸術というフィールドで自分の見たいものや体験したいものが作れたら、というのは動機としてあります。

Toru

Toru: モスキート音によって年の功を逆転させるあそび」は元々モスキート音を使えば子供にだけ情報を伝えることができる、という気づきから出発しています。社会的にネガティブなモスキート音の用いられ方を逆転して、従来この超高周波からの攻撃にさらされている子供達にとってポジティブに用いることができるのではないか、というアイディアでした。もともとは子供だけが聞き取ることのできる音の舞踏譜というものを考えていたのですが、優劣がハッキリ出るものの方が良いだろうと思い、遊び、ゲームという形式をとることにしました。

この作品では、言い方は悪いんですが簡単に言ってしまえば、子供に親や周りの大人を明確に見下せる機会を与えたかったんです。「僕はこんなこと簡単にできるのに、お父さんやお兄ちゃんにはできないんだ。」みたいな。僕は性格が悪いので、人間の醜いところがよく見えたらいいな、と思ってものを作ります。調子に乗った子供の醜さとか、「子供に負ける」ということを極端に恐れる大人の醜さとか、逆に「子供に負けてあげる」ということを進んでする大人の醜さとか、ぜんぶ。

 

■ICC にて開催中の「車輪の再発明プロジェクト」では、「技法:(1) コイル、(2) 磁石、を与えられたものとせよ」というテーマに基づく「超超短距離電信装置」「Choose one, if you want.」「運動ーコイルと磁石の場合」の 3 作品が展示されているようです。これらの新作についてお話しいただけますか。

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これらの作品群は Jess Rowland らの平面スピーカーの研究 [1] を踏まえ、スピーカーの最小構成単位をコイルと磁石と捉えてスピーカーを再発明する試みとして制作されています。これらに用いられている技術要素は IAMAS 在学中から研究していたものです。アンテナなどの電波や電磁石の発する電磁気を作品制作に応用しようといろいろな実験を重ねていたのですが、これらはその成果とも言えるものですね。基礎的な知識のみでアンテナやスピーカーを自分の手で作りながら発見した現象を提示しています。

期せずしてこれらの現象は工学の世界では技術的に非効率であったり、より優れたものが発明されて忘れ去られていった技術の引き起こすものととても似通っています。現状用いられている音響技術によるものとは異なる音響体験を提示するこれらの作品群は城講師の推進する「車輪の再発明プロジェクト」の理念 [2] に沿って言うならば「ありえたかもしれない今」を提示するものといえるでしょう。

re-inventing

今回の ICC での「車輪の再発明プロジェクト」第 3 期展示の『(1) コイル、(2) 磁石、を与えられたものとせよ − 最小構成単位に分解されたスピーカーによって提示される“振動”』は、同プロジェクトと連携して、僕の作品制作の方法を“技法”として分離し、様々な人に作品を制作してもらうというものです。今回は車輪の再発明プロジェクトの所属学生もこの技法を用いて作品を制作しており、この技法による 7 点の作品が展示されています。

この“技法”という考え方は 1 期、2 期展示で展示された『予め吹きこまれた音響のない(もしくはある)レコード』や、『写植文字盤による多光源植字』、現在も同研究開発コーナーに展示されているクワクボリョウタ准教授の『針穴をあけた紙を通したRGB光源による網点プロジェクション』などの同プロジェクトが本年度の ICC で展示している手法を踏襲しています。

僕が作った技法を共有して異なる現れが見えるというのは、舞踏譜を記述して演者に上演してもらった時に、必ず演者によって異なるものになる、という一つの作品を作る上での協力関係とそれによる相乗効果にも似ています。

 

■今後のご活動の予定についてお話しいただけますか。

すでにご質問の中で話題にしていただいていますが、2016 年 2 月 28 日まで NTT インターコミュニケーション・センター(ICC)の研究開発コーナー「車輪の再発明プロジェクト」展示の中で、僕の提案した技法『「(1) コイル、(2) 磁石、を与えられたものとせよ」− 最小構成単位に分解されたスピーカーによって提示される“振動”』の展示が行われています。この展示も踏まえた研究会の記事も後日アップロードされる予定です。

また、僕の作品は展示されていない期間になりますが、3 月 5 日の午後 2 時から ICC で車輪の再発明プロジェクトの展示に関するギャラリートークが行われるので、そちらもよろしくお願いします。

2 月 25 日から 28 日の間岐阜県大垣市ソフトピアジャパンセンタービルで行われる「IAMAS 2016」にも、プロジェクトの成果発表と、パフォーマンス作品を上演の予定です。

また来年度では 5 月 8 日に八王子音楽祭で開催される「多摩美の音楽実験室 2016 堆積と分散」にパフォーマンス作品を出品の予定です。

この度はインタビューいただきありがとうございました。

 

[1] Jess Rowland, Flexible Audio Speakers for Composition and Art Practice, Leonardo Music Journal No. 23, MIT press, pp.33-36, 2013.
[2] 車輪の再発明プロジェクト 研究概要(http://www.iamas.ac.jp/projects/145

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1月 20

JSEM電子音楽カレンダー/2016年1月のピックアップ

 

JSEM電子音楽カレンダーでは、担当の川崎弘二が、カレンダーに掲載されている各種イベントを「今月のピックアップ」として月イチでご紹介しております。

2016 年 1 月に開催されるイベントから、今回は趣向を変えて、川崎がお手伝いしているイベントを紹介させていただきたいと思います。

ということで、1月29日(金)に、京都芸術センターにて開催される「檜垣智也 アクースマティック作品による 音の個展」をピックアップいたします。このコンサートに映像でご参加される映画監督の七里 圭さんから、電子メールでコメントをいただきました。

 

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檜垣智也 アクースマティック作品による 音の個展
日 程:2016年1月29日(金) 19:00開演
会 場:京都芸術センター
料 金:前売:2,000円、当日:2,500円、学生:1,500円

http://kojiks.sakura.ne.jp/higaki.html

 

■七里監督は、映画のサウンドトラックについて次のように述べています。

サウンドトラックとは、映されている映像と同じ時間の音の連なりです。
見えているものと聞こえてくるものが、実は分離しているのにシンクロしているから、
人はある世界をそこに感じ、没入してしまう。
それが映画の時間なのだと思います。
この面白さ、不思議さを噛みしめています。
おそらくサウンドトラックという発想は、芝居や踊りの伴奏から、
ごく当たり前に生まれた方式なのでしょうが、それが生演奏や語りではなく、
録音された音に置き換えられたことによって独特のものに変質したのです。
光も音も同じメディアに情報として記録されるようになった今、
映像からサウンドトラックを意識的に引き離し、同期することを体感してみようと言うのが、
このライブ「映画としての音楽」のコンセプトの一つです。

 

■上記した七里監督の文章にもあるように、七里監督は数年前から映画を音から作り始めるという実験に取り組まれており、2014 年4月にライブ「映画としての音楽」が開催されました。そして、このライブで上映された素材などをもとにして、映画版「映画としての音楽」が製作されました。2014 年 11 月に公開された映画版「映画としての音楽」は、2015 年4月に檜垣智也さんの手によってアクースモニウム上映が行われています。

 

■そして、「映画としての音楽」は、オスカー・ワイルド「サロメ」が下敷きになっています。「サロメ」についての関心を七里監督は次のように説明しています。

この戯曲への関心がぼんやりながら高まってきたのは、三年ほど前。
時代の転換点を経験した後のことでした。
ヘロデ王の娘が母のために預言者ヨハネの首を求める、聖書に記されたエピソード。
それが、ワイルドの戯曲が成立する以前から 19 世紀後半の文学や美術の題材として
(とくにフランスで)もてはやされていたと知り、なぜだろうと思いました。
時代の気分――いわゆるデカダンスを象徴したがゆえと解説されていますが、
ではそれはどういう時代だったか考えてみれば、
資本主義が西欧先進国に浸透して、写真やレコードといった複製文化が誕生したころ。
つまり、20 世紀以降、現在に至るまでの社会や文化を準備した時代でした。
そんなことを、のんびりつらつら思い巡らせて一年ほど過ぎたころ、
不覚にも初めて、日夏耿之介訳の「院曲撒羅米」を読んだのです。
衝撃的でした。
研ぎ澄まされた一語一語が喚起する、ただならぬ情感、情景。
文章から、リズムや旋律までもが感じられ、すでに音楽のようでした。
ああ、これだ! と思い“音から作る映画”という構想が一気に浮かんだのです。

 

■その後、2015 年3月には「音から作る映画 2」として七里監督の構成・演出による「サロメの娘」が上演されました。「サロメの娘」では音楽とアクースモニウム演奏を檜垣智也さんが担当され、映像は、紗幕を利用したアナログな方法による3D上映が試みられています。2015 年8月には「サロメの娘」の改訂版がフランスの FUTURA 音楽祭にて上演され、そして、「檜垣智也 アクースマティック作品による 音の個展」において、この改訂版が日本で初めて公開されます。今回の「サロメの娘」の上演について、七里監督から以下のコメントを頂戴しました。

FUTURA で上演された改訂版は初演と何が変わったのかというと、サウンドトラックの一部に音の厚みが増したことと、作品の終始続く語り――1万字を越える日本語テキストの全てを英訳した膨大な字幕を、フレームの上下、そしてプロジェクションの手前と奥をフルに利用し出し続けたことでした。

判読可能かどうかを敢えて考慮せず、現れては消える怒涛のテロップは、英語を母国語としないフランスの人々には、物語を追うことを諦めさせるに十分な効果があったようで、「何だか分らないけど詩だということは分った」というある人の感想(それは実に正しい)の通り、断片的に意の取れる言葉と闇の間に映像がぼんやり浮かび、アクースモニウムで拡張された空間音響と絡み合う、特別な『サロメの娘』の上演になったのでした。

今回の京都上演では、そうした効果は望むべくもないので、もちろん英字幕は一切出しません。けれど、ならば初演と同じものかというとそうでもありません。生まれてから早一年が経つ『サロメの娘』は、成長して、そろそろもう一つの顔を見せることになります。今回は、その変化を暗示する上演になる予定です。

 

■改訂版上演のご成功をお祈りしております。コメントどうもありがとうございました。

 

※引用はすべて、ライブ「映画としての音楽」初演時のプログラムより

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12月 30

予告:JSEM主催 電子音楽なう!vol.5

2016/3/18(fri) 19時開演 大阪なんば BEARSにて開催決定!!

出演者等詳細決まり次第随時お知らせいたします。

※jsem会員の皆様には作品募集をMLにてご案内しております。

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10月 30

JSEM電子音楽カレンダー/2015年11月のピックアップ その2

 

JSEM電子音楽カレンダーでは、担当の川崎弘二が、カレンダーに掲載されている各種イベントを「今月のピックアップ」として月イチでご紹介しております。

2015 年 11 月に開催されるイベントから、今月は「その2」として、11 月から 12 月にかけてブリュッセルにて開催される「Ars Musica 2015」もピックアップいたします。こちらの演奏会シーズンにて「ヴィオラと電子音響のための『奇想曲』」の改作が初演され、また、Destellos Composition Competition 2015 のミクスト作品部門にて「室内オーケストラと電子音響のための『ソリトン』」によって佳作 (1位なし3位)を受賞された松宮圭太さんに電子メールでお話しをお伺いしました。

 

マクシム・デセール演奏会 @アルス・ムジカ2015、ブリュッセル

 

Ars Musica 2015 Maxime Desert
日 程:2015 年 11 月 10 日 (火) 19:00
会 場:PointCulture Bruxelles(ベルギー)

Krzysztof Penderecki / Cadenza
Elliott Carter / Fragment 4
Cyrille Thoulen / ἐπαıνέω (épaïnéô)
Philippe Hersant / La Pavane
György Ligeti / Hora Lungà, eerste beweging van de sonate
松宮圭太 / ヴィオラと電子音響のための「奇想曲」

Maxime Desert: viola

http://www.arsmusica.be/Ars/nl/concert/maxime-desert/

 

■松宮さんは、2012 年にフランス国立音響音楽研究所の作曲研究課程(IRCAM Cursus1)を修了しておられます。フランスに渡られた経緯、IRCAMでのご研究、IRCAMにおける制作環境やスタッフ、作曲家とのご交流、IRCAMにて制作された「ヴィオラと電子音響のための『奇想曲』」などの作品についてお話しいただけますか。

フランスではまず先にパリ国立高等音楽院作曲科に入学していて、そこの大学院に進学したのと同時に学校の推薦枠から IRCAM での年間の作曲研究課程キュルシュス1に行きました。キュルシュス1は作曲家に対してプログラミングの基礎知識や IRCAM で開発されたツールの使用法などを伝授しながら各々の制作に応用させる目的の教育的な場で、僕と同じ年に研究課程に入った十数名の作曲家は皆、提出した器楽作品のスコアと動機書によって選抜を受けて入っています。

仲間内には、プログラミングや電子音響音楽の制作経験が一切無い人間から、そうした関心を元から持ち制作してきた人間まで様々でした。2011 年から 12 年にかけて在籍していましたが、ミュライユが 1990 年にこの課程を開設した頃からは講義内容も雰囲気も相当変わっていたと思います。2006 年にキュルシュスが1と2に分かれてからは1の方はより教育色、訓練色が強くなってきたと聞いています。

研究生に与えられる制作環境ですが、良かったと感じたことは、申請しさえすれば 24 時間いつでも使える防音スタジオ、定期的に支給される IRCAM の最新ソフトウェア、そして制作のヒントとなる講義内容でした。機材に関してキュルシュス生がアクセスできるものは決して特別なものではなく、YAMAHA のデジタルミキサーや Apple のデスクトップ PC、RME のサウンドカードに DPA のマイク、そして普通に購入できるメーカーの小中型のモニタースピーカーといった、一般的な教育機関や個人でも頑張れば揃えられそうなものでした。

 

キュルシュス1同期達と
キュルシュス1同期達と @ IRCAM 地下

 

キュルシュス1では MAX に関しては基礎から音響合成、コンサートパッチの組み方までを広範に学びましたが、作曲支援ソフト OpenMusic の訓練の比重はそれほど高くありませんでした。楽譜やシーケンサーで音素材を組む作曲行為に近いと直感的に感じたのが OpenMusic だったので、個人的にあれこれ試しては指導教官に質問に行って学びました。

キュルシュス1の修了制作となったヴィオラと電子音響のための『奇想曲』では、パガニーニの奇想曲を見て感じたことから発想を得て、録音物からフィルターしてシャン・ハーモニックを作ってみたり、関数、放物線の動きとシャン・ハーモニックの組み合わせてみて旋律や和声の動きを作ったり、その録音からまた別のシャン・ハーモニックを作ってみたり、音響合成したりを繰り返して素材を集めました。

その際に用いたツールは OpenMusic 上で動く Csound のライブラリだったり Audiosculpt 上でのスペクトル分析だったり、Pro tools 上の編集機能だったりと、その場その場で使いやすいと思うツールをざっくばらんに選んで使っていました。電子音響と器楽が双方向的な関係にある書法を探す、というのがテーマで、研究の方向性としては地味でしたが、その時に模索したことが現在のプロジェクトや仕事に役立っているので、自分の関心を深める機会が与えられて有り難かったと思います。

 

キュルシュス1修了コンサート、ゲネにて @イルカム, エスパース・ド・プロジェクション
キュルシュス1修了演奏会、ゲネにて @ IRCAM,エスパース・ド・プロジェクション

 

■2013 年 10 月には「パリ国立高等音楽院作曲科修了演奏会」において、「室内オーケストラと電子音響のための『ソリトン』」が、ジャン=フィリップ・ヴュルツの指揮、パリ国立高等音楽院オーケストラの演奏によって初演されています。また「ソリトン」は、2015 年度のデステロス作曲コンクールにおいて佳作 (1位なし3位)を受賞されています。『ソリトン』という作品の成立過程やエレクトロニクスの要素について、また、デステロス作曲コンクールについてお教えいただけますか。

『ソリトン』はパリ国立高等音楽院作曲科大学院の修了作品で、IRCAM の研修を終えた翌年、作曲科在籍の最後の年に制作したものでした。先述の『奇想曲』と同様、電子音響と器楽の書法の関連を焦点に制作に取り掛かりました。電子音響と器楽のためのミクスト作品を作る際にいつも感じることですが、スピーカーから鳴る音と楽器から鳴る音、いずれも音波として客席に伝わるものながら、双方の質感や存在感があり、その違いにどう折り合いと付けるかという問題意識があり、その対応として、楽器音を増幅したりリバーブ処理したりといった方法以外にどういうアプローチができるだろうということを考えていた際にぼんやりと浮かんだのが、音波にもソリトンみたいな現象があってもいいよなぁという思いつきでした。

ソリトンとは川やプール等で発生する自然現象で、波と波が干渉することなく、消し合わずに進行する現象として知っていました。スピーカーから鳴る音と楽器から鳴る音が寄り添いながら進む音波となる、そんなイメージから、スピーカー群とアンサンブル群の両方を二群に分けて対話させるアイディア、騒音から楽音へ、楽音から騒音へという波のフィギュアのアイディア、そのフィギュアを形式に応用するというアイディアが浮かび、オーケストレーションの中に溶けるような音響を意識して電子音響パートをまとめました。

 

室内オーケストラと電子音響のための『ソリトン』初演@パリ国立高等音楽院
室内オーケストラと電子音響のための『ソリトン』初演時 @ パリ国立高等音楽院

 

デステロス作曲コンクールは、アルゼンチンで 2007 年よりデステロス・ファンデーションによって開催されている作曲コンクールです。電子音響音楽を対象としたA部門とミクスト作品を対象としたB部門があります。年齢制限が設定されておらず、過去には審査員の間違いではないかという大御所が応募、入選していたりするので、新人向けなのかそうでないのかわからなかったのですが、B部門に『ソリトン』を出品してみたところ佳作という評価を頂きました。

オーガナイザーのエルザ・ジュステル氏から審査員達の評価、良かった点と課題点を伝えて頂き、励みになりました。かつて習っていた電子音楽のルイス・ナオン先生とプログラミングのトム・メイス先生に報告したところ、僕が連絡する前に結果を見て知っていたようで、驚きました。正直、パリ音楽院の作曲科方面ではあまり知られていないコンクールだと思っていたためです。

 

『ソリトン』スコア、楽器・機材配置図
『ソリトン』スコア、楽器・機材配置図

 

■2015 年 9 月 11 日 (金) ~ 19 日 (土) にかけて大駱駝艦・壺中天(東京)にて開催された「阿修羅」のために、松宮さんは電子音楽を制作されています。こちらの舞台音楽を担当されることになった経緯、今回上演された電子音楽についてお話しいただけますか。

大駱駝艦には古い友人が在籍している関係で昔から何度か公演を見に行っており、パリに来る前にはダンサー達と即興演奏で舞台を共にする機会が時々ありました。今回の舞台で演出・主演をされた鉾久奈緒美さんとは、何年か前にパリでお会いした時に僕の過去の音楽を聴いて頂いていた経緯があり、その時の印象から、今回の制作依頼をして下さいました。

事前にコンセプトイメージを受け取っていたので、それを元に各々のシーンの核になる音楽を送っていましたが、8月末から練習に参加してみると、どんどん洗練されていく舞台の方に合わせて別のタイプの音楽が必要になったり曲の長さの問題が出てきたりして、音楽制作も初演ギリギリまで粘らせてもらうことになりました。ダンサーが踊れる音楽、そして尺の伸縮に対応できる音楽を制作するというのが課題だったという感じですが、周期性とヴァリエーションの展開でこれまでになかった発想を得られる良い機会になりました。

 

大駱駝艦壺中天公演『阿修羅』フライヤー
大駱駝艦壺中天公演『阿修羅』フライヤー

 

大駱駝艦『阿修羅』舞台、主演の鉾久奈緒美氏@壺中天、吉祥寺
舞台の様子(主演の鉾久奈緒美氏)@壺中天、吉祥寺

 

ご略歴には、「2014 年以降はミカエル・レヴィナスの元でオペラ『星の王子様』(オペラ・ド・ロザンヌ委嘱)、ピアノとMIDIキーボードのための『レ・デジナンス』(イルカム, メシアン音楽祭委嘱)、オーケストラのための『橋の秘密』(オーケストラ・バス=ノルマンディー委嘱)、オペラ『変身』改作(イルカム、アンサンブル・ル・バルコン委嘱)等の制作助手を務める」とあります。松宮さんの手掛けておられるレヴィナスの制作助手のお仕事についてお教えいただけますか。

レヴィナス先生の助手としての仕事は、彼のアトリエで彼と一緒にピアノで即興をしたり、求めに応じて機材やアプリケーションをセッティングしたり、指示に従って楽譜の記入やオーケストレーション作業、またはシーケンサー上で作業をしたり、初演時の演奏家や IRCAM のエンジニア等のやりとりにおいて秘書的な役割をしたり、浄書の関係で出版社との取次を行ったりと、まぁキリがありません(笑)。ですが結局、先生の話を聞くのが一番の仕事だと思っています。レヴィナスが退官する直前に分析科で師事していたので、その師弟関係の延長で仕事をしている感じです。

 

レヴィナスと彼のアトリエにて、オペラ『星の王子さま』完成直後
レヴィナスと彼のアトリエにて、オペラ『星の王子さま』完成直後

 

オペラ『変身』改作初演リハーサルにて@アテネ劇場
オペラ『変身』改作初演リハーサルにて@アテネ劇場

 

■2015年 11 月にはブリュッセルで開催される Ars Musica 2015 にて「ヴィオラと電子音響のための『奇想曲』」の改作が初演され、来年はボルドーのアンサンブル・プロクシマサントゥーリのためにギターと電子音響のための新作も初演されるようです。現在の電子音楽の制作環境や、今後、初演が予定されるエレクトロニクスを使用した作品についてお話しいただけますか。

アルスムジカ 2015 では、ヴィオラ奏者のマクシム・デセールの依頼によって『奇想曲』の電子音響パートを改定し、初演される予定です。ターナ・ヴィオラという彼のちょっと変わったハイブリッド楽器のために、電子音響部分のバランスやリアルタイムの処理などを操作しています。今後の予定として、マクシムもメンバーであるターナ弦楽四重奏団と彼らのハイブリッド楽器のために新作を書くプランがあり、その下調べを兼ねたプロジェクトです。

プロクシマサントゥーリのプロジェクトや来年4月のバルセロナにて開催されるフェスティバル・ミクスチュールへの参加は、僕自身も創設者として参加するアンサンブル・ルガールの活動の一環で、自作を発表する場合もあれば音響スタッフとして関わることもあります。現在、モロッコ、フェズで行われるメンバーの作品発表のために録音と映像の仕事で現地のアンスティチュ・フランセで滞在していますが(10 月 27 日)、これもそういった活動の一環です。プロクシマサントゥーリのプロジェクトでもハイブリッド楽器のギターを使用する予定で、電子音響と器楽がより自然に関係する音響を模索しているところです。

 

アンサンブル・ルガール演奏会準備の様子@パリ・ビエット教会
ルガール演奏会準備の様子 @ パリ・ビエット教会

 

アンサンブル・ルガールのメンバー達と@ストゥディオ・ルガール・シーニュ、パリ
ルガールの作曲家達と @ ストゥディオ・ル・ルガール・ド・シーニュ

 

■今後のご活躍を期待しております。この度はどうもありがとうございました!

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10月 28

JSEM電子音楽カレンダー/2015年11月のピックアップ

 

JSEM電子音楽カレンダーでは、担当の川崎弘二が、カレンダーに掲載されている各種イベントを「今月のピックアップ」として月イチでご紹介しております。

2015 年 11 月に開催されるイベントから、今回は 11 月 20 日 (金) から 23 日 (月) にかけて、アトリエ劇研(京都)にて開催される「桑折 現×木藤純子×中川裕貴『CH』」をピックアップいたします。この舞台作品に参加される中川裕貴さんに電子メールでお話しをお伺いしました。

 

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桑折 現×木藤純子×中川裕貴「CH」
日 程:2015 年 11 月 20 日 (金) 19:00、21 日 (土) 19:00、22 日 (日) 14:00/19:00、23 日 (月・祝) 14:00
会 場:アトリエ劇研(京都)
料 金:A席=2,500円、S席=3,000円 (前売のみ)、B席=1,500円 (音楽鑑賞席)、Z席=8,000円 (各公演1席/前売のみ/鑑賞特典含む) ※A席、B席の当日券は+300円

演奏:中川裕貴、バンド
美術:木藤純子
演出:桑折 現
音響:甲田 徹
照明:筆谷亮也
舞台美術制作:大村大悟

http://ch2015nov.tumblr.com

 

■中川さんは、2008年に同志社大学工学部 情報システムデザイン学科を卒業され、2010年に京都市立芸術大学大学院 音楽研究科(音響心理学/聴覚専攻)を修了されています。芸術大学の大学院に進学された経緯や、主にチェロを用いた作曲・演奏・演出などの活動をされるようになった経緯についてお話しいただけますか。

高校時代より音に興味があり、音楽の情報処理に関する研究が行われていた同志社大学工学部(現在は理工学部)に進学し、柳田益造先生の研究室に在籍しました(余談ですが、柳田先生は1970年の大阪万博において西ドイツ館アウディトリウムでミキサーを務められており、研究室ではその当時のお話しを何度か聴かせて頂きました)。

芸術大学の大学院に進学した経緯ですが、大学のときから、音楽の情報処理やソフト開発より、ヒトの聴覚や音楽に対する認知/認識について興味を持っており(卒業論文は音楽の終止時に感じる調性的期待について、心理実験を元にその認知過程を解析したものでした)、より聴覚や認知に基づいた研究がしたいと考え、津崎 実先生がおられる京都市立芸術大学音楽研究科に進学しました。

大学院では「聴覚における寸法情報の知覚と聴覚情景分析」(こちらの詳しい内容は津崎先生の下記サイトを参照ください)という内容に取り組み、修士課程を修了しました。芸術大学の大学院に進学したものの、演奏や作曲について教育を受けたわけではなく、研究室でただただ心理実験をしていましたので、個人的には所謂「芸術大学」に行っていた感じはあまりしませんでした。

PHAM – 聴覚・音響・音楽心理学の研究室:http://w3.kcua.ac.jp/~mtsuzaki/index.html

 

上記が大学関係における勉学の話しでして、チェロを用いた音楽活動というのはまた別のものになります(但し研究で取り組んでいた音についてのことが自身の音楽演奏活動の根底にあるとは思います)。楽器については、高校時代からエレキベースを演奏しており、確か大学4年生くらいまではエレキベースを演奏していたと思います。

またそのエレキベースについても、いわゆる普通のエレキベースの演奏(バンドの中でベースパートを担当するといったような)とは異なり、エフェクターを大量に繋げ、いわゆる「ノイズ」的な演奏や即興演奏をやっていました。

そしてチェロについてはここ6年くらいで始めたものでして、最初は楽器を譲り受けたことから始めました。エレキベースからチェロへと楽器は変わりましたが、エフェクターなどを使用するスタイルは変わらず、そしてそこから現在に至るまで、少しずつチェロの特性を生かした演奏、また新しい音楽のかたちについて模索している感じです。

またご指摘の通り、私は自分のプロフィールにおいて「主にチェロを用いた作曲・演奏・演出」と書いていますが、私にとってこの3つの事柄(作曲・演奏・演出)は現在不可分なものでして、それぞれについての解説は、頂いた下記の質問の中でお答えできればと思っています。

 

 

■2015 年 10 月には、UrBANGUILD(京都)にて「中川裕貴 連続 10 時間演奏」というコンサートを開催されています。この 10 時間のコンサートの中で「チェロとテープとわたし(テープ録音を断続的に繰り返しながら「テープの中」で別の作品を創る)」、「今日も電気を使う(ライブエレクトロニクス演奏)」という演目がありました。中川さんはチェロに電子機器を介在させる演奏に取り組んでおられますが、どのようなシステムを使用しておられるのか、また、音楽にエレクトロニクスを介在させる意味や意義について、もし、お考えのことがございましたらお話しいただけますか。

あくまでも私見ですが、楽器や声に対して、電気機器(マイクやピックアップなど)を介在させることというのは、本来は電気増幅、つまり音を大きくし、声や楽器の音を遠くまで響かせること(拡声)がメインの目的だったのではないかと思っています。自身もその目的のために使っている部分もありますが、また別のことを考えている部分もあります。

下記に簡単にではありますが、音楽にエレクトロニクスを介在させることについて、自身が注力している点を記載します。

 

・ 楽器の振動がマイクなどによって電気信号に変えられ、(その楽器そのものとは)別のところから音が出ること。

・ 聴者の側ではなかなか聴こえなかった小さな音を無理やりに立ち上げ、そこに存在させること(拡声されることの無かった音の拡声)。

・ 電気的に反復させることで、“私自身”が音を出す行為を反復する必要がなくなること=音と身体が分離する=音が身体の影のようになること。

 

これは最初の質問への回答も含みますが、チェロという楽器は本来アコースティックな響きを楽しむためのものであると思います。また当たり前のことですが、自分の体を直接的に楽器に接触させて音を出す、非常に「フィジカル」な楽器だと思っています。

ただ自身の場合については、そこに「電気/拡声」というものを持ち込み、またそれによって、自身の「手」を音が離れることで(自分が動かなくても音が鳴る/本来鳴らした場所とは異なる場所にも音が在る)、その楽器そのものの音と拡声された音、また演奏者の身体というものが複合的に見えてくる時間を「演奏」と言う行為の中で創りたいと考えています。

そしてメロディーやリズム、音色というものは勿論ですが、前述の手法を重層させたものがまた「音楽」と呼ばれても良いのではないかと感じ、チェロを使用し、それにエレクトロニクスを介在させながら演奏を行うという手法を取っています。

※中川裕貴 連続 10 時間演奏については下記リンクにテキストなどの情報がまとめてあります。
https://www.dropbox.com/sh/ptr24s7g3fhms67/AACbfp7Z046Ua-ZQdkPUnD4Ia?dl=0

 

■2015 年 6 月に結音茶舗(大阪)にて、江南泰佐さんをゲストに開催された「And play=enso on #3 スピーカーと向こうから/ここまで」というトークイベントを開催されたあとに、「この企画でトークをして、また別の現代音楽や電子音楽絡みのトークや音源などを聴いてざっくり思うことは、「現代音楽」というものはもう「ここ」には無いのだなという感覚です」とプログで発言されています。「『ここ』」には無いのだなという感覚」について、もう少し詳しくご説明していただけますでしょうか。

「現代音楽が『ここ』には無いという感覚」は、端的に言いますと、「現代音楽」と言われてきたものよりも現代音楽なものが、その他に存在してきているということだと思います(どういった音楽がそういったことに該当するのかというのは挙げだすとキリがありませんが、周りを取り巻く様々な音楽が現代音楽より現代音楽だなあと思ってしまうことが多くなってきています)。

これはきわめて個人的な感覚ですが、僕はそう思っており、それが自身の活動を続ける理由のひとつにもなっているかと思います。ひとまとめにすることは本来できないのですが、それを承知の上で言いますと、所謂「現代音楽」とは音楽の在り方を様々な角度から更新、或いは「音楽」に対してこれまでとは別の角度から光を当ててきたものであると思っています。

そういうことを前提としたとき、もちろん現代に音楽はありますが、「現代音楽」や「前衛音楽」と呼ばれるものが随分と形式的なものに追いやられてきている気がします(ある意味ではジャンルとして確立したことは良いことだと思っています)。

加えて「音楽というものはやはり美しく、心躍るもの、また使えるものである」、という側面がある意味では昔より強くなっていているのではないかと思っています(世の中的に、余白や余剰を楽しむ余裕がなくなってきているという風にも言えるかもしれません)。

また音楽の革新の可能性の死滅(私見)、また視覚メディアの発達、音楽そのものよりも別のものが語られるようになった、、、などなどいろいろな理由が前述の想い(あくまでも個人的な)を後押ししているところもあります。もちろん時代は変わっていくことは当たり前で、時代に合わせる必要がいつも在るかと言うと僕はそうは思いませんし、そもそも「現代音楽」とジャンル分けすること自体がナンセンスだと思いますが、ただ自分が憧れ、追い求めてきた半世紀以上前のそれと今自身が感じている「現代音楽」の状態には差があることは事実です。

音楽が時代を予言すると誰かが言っていたかと思いますが、「現代音楽がこの時代を捉えることができているのか? それは可能か? そもそもそうする必要などあるのか?」という問いを自分は抱いており、それに対して自分なりの回答をするのが、活動の主たるもののひとつだと思っています。

比喩的で恐縮ですが、「あの暑かった時代に暑さのせいでどうも見過ごされてしまった部分を、少し冷めた現代において、みつめ直すことは意味があることなのか?」という問いを自身も「現代音楽」と関係を持つ中で抱いています。なので「現代音楽というものはもうここには無いのだなという感覚です」という発言は、「現代音楽」というものがもともと持っていた役割を終えてしまうことへの危機感や自身への戒めにという意味も含まれています。

※すみません、ブログの発言が結構思い付きの部分が多いため、理路整然としていない部分があるかもしれません。

 

■中川さんは演劇のための音楽も多く手掛けておられます。2015 年 10 月には京都芸術センターにおいて上演された、柳沼昭徳さんの作・演出による「劇計画 II 戯曲創作『新・内山』」の音楽を山崎昭典さんとともに担当されています。演劇のための音楽は、ほかの作曲・演奏活動と比べてアプローチの違いはございますでしょうか。また、2013 年から3年の期間をかけて制作された「新・内山」では、上演にあたってどのようなご準備をなさったのかお話しいただけますか。

舞台音楽に関しては、まずテキスト(脚本)があること、そしてそのテキストが暗示する状態(時間や描かれる場所、登場人物の心情の機微)というものが在ることが大きいと思っています。先日の演劇計画もそうでしたが、自身が演劇に音楽を付けていくときには、テキストや実際に演技が行われた空間や状態(自分は舞台音楽を生演奏でつけることが多いです)を見ながらそれに合せていくことが多いです。

ですので自身の純粋な演奏「表現」とは異なり、自分の表現や思考を、舞台やその演じられている状態に投射していくことが多いかと思います。書かれたテキストや生身の俳優から立ち上がってくる光景に音で呼応する感じは、その他のものでは得られない経験があります。またそれと同時に意識していることは、「音楽は音楽で在る」ということです。

先ほど言ったことと少し矛盾する部分があるかもしれませんが、テキストや実際に演技が行われた空間や状態に対して、余りに合わせすぎる/説明的な「音楽」というのはなるべく舞台に与えないように気を付けています。テキストや俳優の演技と音楽が「二度同じことをいう」必要はないと思うので(例えば悲しいシーンだからあからさまに悲しい音楽を演奏するなど)、テキストや演技とはある一定の距離を持ちながら、但しある程度の繋がりを持ち、また「俳優」でも「観客」でもないひとつの存在として、「やるヒト」と「みるヒト」の間のイメージの往復に寄与できるような音の情報を与えることができればと考えています。

※勿論演出家から自分が先ほど述べたような「説明的な音楽」を求められればそうしますが、なるべく自分から率先してそういうことはしないようにしているつもりです(とは言ってもチェロという楽器は非常にその音そのものが説明的だと思うので、いつも舞台との関わり方には苦労しています)。

 

■2015 年 11 月 20 日 (金) から 23 日 (月) にかけて、アトリエ劇研(京都)にて開催される「桑折 現×木藤純子×中川裕貴『CH』」というイベントについて、中川さんはウェブサイトにおいて「音楽でありながら、同時に音楽のいく“軌道を外れて”、自身が存在する術をずっと考えてきました。それはずっと矛盾した論理でしたが、それでも今回の舞台がその一つの答えのようなものになります。」と述べておられます。「CH」における「中川裕貴、バンド」での演奏について、現時点でのプランがもしございましたらお話しいただけますか。

「桑折 現×木藤純子×中川裕貴『CH』」というイベントに関して、あくまでも僕個人の考えではありますが、このイベントでは自身の約 10 年の作曲/演奏/演出生活の一つの結実をお見せできればと考えており、自身のこれまでの音に取り組みについて、「コンサート」という名のもと演奏していきます。

またこのイベントでは、自身とその「バンド」の演奏が「劇場」という場所で繰り広げられることも鍵となってくるかと思います。先の回答にあったような「演劇の舞台音楽」としてではなく、舞台で自身の表現を行うというのは、今回が初めてのことですので、普段自分が演奏してきた場所(自分は主にライブハウスなどで演奏をしてきました)との違いや、そこに介在される「演出(桑折 現さん)」や「美術(木藤純子さん)」を大事にしながら、音楽と、またそこから少し距離を取った(つもりの)自身の存在を確認して貰えたらと思います。

また下記の公式サイトにありますように今回の公演では席種についても趣向を凝らしています。普通の演劇ではちょっと考えられない「音楽鑑賞席=舞台上が観られない席=特殊な席でヘッドフォンなどを使用しコンサートを楽しむ」なども用意し、複数の鑑賞の仕方、観客の存在ということも視野にいれた作品になっています。

桑折 現×木藤純子×中川裕貴『CH』:http://ch2015nov.tumblr.com/

 

■リリースが予定されている「中川裕貴、バンド」のアルバム、「音楽と、軌道を外れた」はどのような内容となるのか、お話しいただけることはございますでしょうか。

まずアルバムリリースに際して、準備していますステートメント(仮)を下記に記載します。

 

(今や様々な歴史を見てみても)最早わたしたちが「音楽」を創ってしまっていることに否定はしないし、それは出来ない。音楽は時間の中に「音」という現象を置いていく、その石(意志)のような連なり、または時間を通じた線のような、道筋=軌道。その軌道(音楽の/音楽への道筋の)から外れることに自らを賭けるということ。そういう行いについての「音楽」。

 

楽器を持って何かするということで、「音楽」が出来上がるということは、ある意味では至極当たり前のことで(勿論それだけで良い音楽が出来ないことは理解した上で)、私もそのサークルの中にいるということは自覚しています。

ただしそのサークルの中にいながら、その運動から離れること、音楽(サークル)の引力に立ち向かうこと、音楽が聴かれ消費されていくことと距離を置くことなどなど、、、「そんなことができないか?」という妄想の域を出ないかもしれない問いに対して、自身の存在を賭けた作品です。リリースはもう少し先になりますが、「音楽と、何か併走するもの」を見つけて頂ければ嬉しいです。

 

 

■今後の活動のご予定について教えていただけますか。

「桑折 現×木藤純子×中川裕貴『CH』」が終わりますと、程なくして、来年1・2月に開催されます、「烏丸ストロークロック 『国道、業火、背高泡立草』@三重県文化会館伊丹アイホールパティオ池鯉鮒」の稽古が始まります。

また前述の「中川裕貴、バンド『音楽と、軌道を外れた』」については来年頭のリリースを予定しており、目下録音の編集中となります。

その先については、まだ何も決まっていませんが、個人的に少しライブ活動やコンサート企画を休ませて頂き、自身のソロ活動についての音源や、歌ものバンドswimmの音源準備などを進めていこうと考えています。また「中川裕貴、バンド」については、音源ができ次第、来年は関西以外でもいくつか演奏ができたらと考えています。

 

■ますますのご活躍を期待しております。この度はどうもありがとうございました!

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9月 28

JSEM電子音楽カレンダー/2015年10月のピックアップ

 
 

JSEM電子音楽カレンダーでは、担当の川崎弘二が、カレンダーに掲載されている各種イベントを「今月のピックアップ」として月イチでご紹介しております。

2015年10月に開催されるイベントから、今回は10月24日(土)に、瑜伽神社(奈良)にて開催される「ひびきののりと 瑜伽神社 電子音楽奉納コンサート vol. 2 シカトキイタ」をピックアップいたします。このコンサートに参加される大塚勇樹さんに電子メールでお話しをお伺いしました。

 

shika

 

ひびきののりと 瑜伽神社 電子音楽奉納コンサート vol. 2 シカトキイタ
日 程:10月24日(土) 1回目=13:30~14:30 2回目=15:00~16:00 3回目=16:30~17:30
会 場:瑜伽神社(奈良)
料 金:1,500円、学生1,000円

 

◎インスタレーション
天野知亜紀、牛山泰良、関 光穂、山田あい子

◎コンサート
大塚勇樹、永松ゆか、野津圭子、野呂有我、檜垣智也、藤田将弥、山下裕美、Paul Ramage、suzukiiiiiiiiii、trorez、Zhaogu Wang

◎アクースモニウム演奏
大塚勇樹、永松ゆか、檜垣智也、山下裕美

http://hirvi-acousma.tumblr.com

 

■大塚さんが電子音楽、クラブ・ミュージック、エレクトロニカ、ノイズなどの音楽家として活動されるようになった経緯についてお話しいただけますか。

中・高と吹奏楽部にいたのですが、コンクールの全国大会へ出場したり自分の歯の問題もあったりする中で、自分としては「やりきったな」という意識があったのですが、それ以上に一つの楽器を修行僧のように極めていくことよりも、どこまで行ってもその楽器固有の音色しか出ないことの方に対しての失望があり(演奏家の皆さんすみません。。。)、そのため、吹奏楽部でも任されていた録音や音響の技術を、本格的に学べると思って大阪芸術大学へ進学したことがきっかけです。

後は高校の時にブンブンサテライツアクフェン、大学入学直後にピエール・アンリドニ・デュフールといったアーティストに出会ったことが大きいです。自作自演が出来るというのも、吹奏楽と違って魅力的に映ったのかも知れません。

 

■「ひびきののりと 瑜伽神社 電子音楽奉納コンサート」は、昨年の2014年10月25日に第一回目が開催されています。このときは「この世界から消えた音」が共通のテーマとなり、34名の作曲家による3分間以内の作品が上演されています。このような形式によるコンサートが開催された経緯を教えていただけますか。また、こちらのコンサートで上演された大塚さんの「Ghost Dubbing」は、その後、世界各地で上演されています。こちらの作品についてもお話しいただけますか。

「ひびきののりと」の開催のきっかけですが、前年まで毎年開催していたアクースマティックのイベントの方向性が、会場の確保やそれに伴う企画の方向性といった問題で、手詰まりになった感じがあったため、グループ名も企画名も刷新し、これまでのように「アクースモニウムだから珍しい・すごい」という価値観よりも、単純にいちイベントとして世間に対して挑発的な企画が出来ればということでhirviのメンバーと共に発案したものです。

作品を複数の作家から募り、コンサートで上演し、bandcampでフリー配信し、海外へも積極的にプロモーションをかけていくという流れが上手く出来上がってきているように思いますが、その中で僕の作品も各所で取り上げてもらっています。

「Ghost Dubbing」では、何種類ものマイクによって、様々な時間・空間で録音された「無音」をノーマライズして得られたノイズと、アウトボードのシミュレーション系プラグインから得られるヴィンテージ機材特有のノイズを、それぞれ一つずつの音色として捉えて制作しています。

これらのノイズは音響機材を通してしか聴く(観測する)ことができない上に、過去・現在・未来と絶えず周囲の空間や音響機材の中に存在し続けている亡霊のようなものであり、またリバーブやコンプレッサーでは得られない固有の空間の奥行きや気配、歪み感というものを内包しています。

ただし、通常の録音に於いては基本的には忌避される悪霊でもあり、除去するための魔法のようなプラグインも多数存在しています。故に、これも一つの「この世界から消えた音」ではないのかと解釈しました。このような逸脱したノイズが僕は好きで、クラブ・ミュージックやエレクトロニカを作る際でも、トラックの背後に忍ばせて空間演出の一つとして使っています。

 

■2015年2月には、アンスティチュ・フランセ関西 稲畑ホール(京都)にて開催された「Contemporary Computer Music Concert 2015」において、「Arcane Awe」という作品が初演されています。この「Arcane Awe」という作品について、また、大塚さんの創作においてアクースモニウムで演奏される作品に、特有のアプローチなどがございましたらお話しいただけますか。

この作品では膨大な量のハードシンセとエフェクターを使い、それらの音色を作りこんだ上でその音色だけを10分〜20分と延々録り貯めたものをコンピューターに取り込み、より徹底的に音色と音響を追い込んだものを大量に重ねて出来上がったものです(時にはプラグインも発振させて使いました)。

音楽としての構造的な問題も「この音色が何秒続けば気持ちいいか」ぐらいにしか考えていません。「Arcane Awe」にしろ「Ghost Dubbing」にしろ、何故音色にこだわるのかというと、単純に音色へのフェチがあるというのもありますが、それと共に、これまでに若手の作曲家に対して「一つの音色の力だけで押し切ろうとして失速する」という評価を何度か目にしてきた中で、「音色の力で突破することの何がいけないのか」という反抗心と「押し切れないような弱い音色じゃ駄目でしょ、もっと攻めようよ」という同世代の作曲家への残念さが僕の中にずっとあり、そこに対する自分なりの挑戦として試行錯誤しながらやっています。

ここ2〜3年のアクースモニウムで演奏するための作品は基本的にこのようなアプローチで制作していますが、超低域のパンニングや擬似サラウンド系・エキサイター系のプラグインを使って位相のトリックを多用した結果、年々アクースモニウムでの演奏には不向きな作品になっているのが悩ましいところです……。

 

■大塚さんは「Route09」という名義でも活動しておられます。本名での作品発表と、Route09名義による演奏活動との違いについてお話しいただけますか。また、nu thingsで開催されたイベント、「シンセ温泉!」、「ベアーズ電子音響祭」などの催しで、Route09としてどのような演奏をされたのかお話しいただけますか。

本名ではアクースマティック作品の制作とアクースモニウムの演奏を、Route09名義ではクラブ・ミュージック、エレクトロニカ、ノイズ等の制作とラップトップやハードウェアを使ったライブを、という具合に使い分けています。

nu things(現Environment 0g)ではオーナーで音楽評論家の阿木 譲氏には何かとお世話になっていて、一時期は氏の影響もあってずっとダブ・テクノ的な音を作ってばかりでしたが、お陰でCCMC2012では「コンクレート+インダストリアル+ダブ」を意識して作った曲で賞を頂き、フランスで作品を上演してもらうことも出来ました。その方向性は、ここ数年の先端的なアンダーグラウンド・ミュージックのトレンドとも合致しているように思います。

「シンセ温泉!」や「ベアーズ電子音響祭」ではハードウェアだけで得られる音色による即興演奏をしたのですが、それはつまりコンピューターでエディットするより前の素材の音だけでどこまで勝負できるかというチャレンジでもありました。今後の制作にも繋がるヒントを多く得られたので 良かったのですが、お陰で機材も増えに増え、自宅のスタジオは更に狭く…… 本当はモジュラーシンセにも手を出したいんですけど。ちなみに日本のREONというメーカーのDriftboxというシンセサイザーが凄く良いのでオススメです。

 

■2015年10月24日(土)に、瑜 伽神社(奈良)にて開催される「ひびきののりと 瑜伽神社 電子音楽奉納コンサート vol. 2 シカトキイタ」というコンサートについて、全体的な企画の内容、そして、大塚さんが発表される作品についてお話しいただけますか。また、コンサートの みどころ、ききどころなどあればお教えいただけますか。

今年の「ひびきののりと」では、共通のフィールド・レコーディング素材を使用したアクースマティック作品の上演と、インスタレーションの設置を行います。

素材の録音には、鹿の頭のオブジェをバイノーラルマイク用のダミーヘッドとして用いた「鹿ノーラルマイク」を奈良公園にいる鹿の中に紛れさせることで、「鹿の目線と耳で捉えた奈良の音」を録ってきました。バイノーラルマイクこそ人間用のものですが、やはり人間とは違う音の聴こえ方がしますし、むしろ人間よりも環境ノイズに対する没入感があるようにも思います。

また、全員が共通の素材を使うので似たような音の作品が揃うのか、コンピュータ上でプロセッシング しまくった過激な音がくるのか、鹿の鳴き声だけピックアップした脱力系の作品が出てくるのか…… 全ては未知数ですが、僕自身とても楽しみにしています。

僕の作品はまだ制作途中なので何とも言えないのですが、基本的にはこれまで通りで、素材の中に新しい音色を見つけては磨きまくっているところです。

本公演は奈良県大芸術祭の公式イベントとしてプログラムされており、当日は瑜伽神社の近くの奈良国立博物館で恒例の正倉院展が初日を迎えます。今年は一時間程度のコンサートをAKB48ばりに3回公演でやりますので(内容はどの回も同じです)、奈良への観光がてらご都合の良い時間に我々のイベントへ足をお運び頂き、秋の奈良で気持ちの良い時間を共に楽しめたらと思います。

 

■今後の活動のご予定について教えていただけますか。

丁度このインタビューの原稿を書いている時に、知り合いの映像制作会社から楽曲提供の依頼が入ってきたところです。笑

ライブの出演やマスタリングの依頼などは当分予定がないので、上手く物欲をコントロールしながら自分のアルバム制作に注力したいと思います。

 

■ますますのご活躍を期待しております。この度はどうもありがとうございました!

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8月 11

JSEM電子音楽カレンダー/今月のピックアップ特別篇「サラマンカホール電子音響音楽祭」5

 

 

JSEM電子音楽カレンダーでは、担当の川崎弘二が、カレンダーに掲載されている各種イベントを「今月のピックアップ」として月イチでご紹介しております。

さて、2015年9月11日(金)から13日(日)にかけて、サラマンカホール(岐阜)にて「サラマンカホール電子音響音楽祭」が開催されます。

このフェスティバルは、サラマンカホールと情報科学芸術大学院大学(IAMAS)が主催し、日本電子音楽協会(JSEM)、先端芸術音楽創作学会(JSSA)岐阜県図書館岐阜県美術館との共催により開催されます。

日本電子音楽協会は、2日目の12日(土)に、「日本電子音楽協会 第19回 演奏会 響きあうバロックと現代」、そして、「テクノロジーと『作曲』の未来 JSSA/JSEM スペシャル・コンサート」というふたつのコンサートを開催します。

そこで「今月のピックアップ」も、「サラマンカホール電子音響音楽祭」に参加される方々を取り上げていきたいと考えております。「日本電子音楽協会 第19回 演奏会」にて新作を発表される渡辺愛さんに、電子メールでお話しをお伺いしました。

 

salamanca
サラマンカホール電子音響音楽祭 ぎふ 秋の音楽祭2015 第2日 6. コンサート
「日本電子音楽協会 第19回 演奏会 響きあうバロックと現代」

日 程:2015年9月12日(土) 14時開演
会 場:サラマンカホール(岐阜)
入場料:一般2,000円[サラマンカメイト 1,800円]/学生1,000円(小学生~大学生 30歳まで・学生証要提示)
http://www.iamas.ac.jp/eams2015/

 

■2014年2月には「新しい合唱団 第14回演奏会」において、渡辺さんの「新豊折臂翁戒辺功也」という合唱曲が初演されています。こちらの作品についてお話しいただけますか。また、電子音楽の作曲の経験は、こちらの合唱曲に何らかの影響を及ぼしているとお考えになりますでしょうか。

新しい合唱団」は日本語の現代作品をレパートリーとして活動しているアマチュアの合唱団です。音楽監督の田中信昭先生とピアノの中嶋香先生から委嘱のお話をいただいて作曲しました。歌詞として扱った「新豊折臂翁戒辺功也(しんぽうの うでをおりし おきな へんこうを いましむるなり)」は白居易(白楽天)の漢詩で、9世紀頃の作品です。

新豊(長安の西)の翁が出征を免れるために自ら右腕を叩き折った経験を語った詩で、いわゆる出兵武勲を批判する歌といわれています。“失った腕は今も痛むが、悔いてはいない。ただ生きているということが嬉しい”ということが書かれています。

実は作曲を開始した当初は歌詞有りの曲を特に想定しておらず、電子音楽の音響イメージを合唱という媒体にトレースするようなコンセプトで抽象的な作品を描いていました。しかし作曲中に実父が亡くなったことをきっかけにそれまでの草稿を全部捨ててしまいました。「新豊折臂翁戒辺功也」は父が最期に病床で呟いた詩だったので、いまこの詩に向き合ってみたいと思い急いで取り上げることにしました。

そんなわけでとてもプライベートな理由による曲になってしまったのですが、当初の音響的コンセプトに寄り過ぎたアイデアは今思えば声を発することに内的な必然性のない表層的なものだったように思うので、かえってこれでよかったと思っています。合唱団の皆さんがどんな律動で空間を満たすのか、間近でふれあいながら演奏会を作ることができたので、貴重な経験でした。とはいえ書法の未熟さを痛感させられた経験でもあったので、これからもアコースティックの作品は書いていきたいです。

w01白寿ホールにて、合唱団の皆さんと © 新しい合唱団

 

 

■2014月3月に開催された「CCMC 2014」や、2015年2月に開催された「CCMC 2015」では、ベルナール・パルメジアニドニ・デュフールの作品をアクースモニウムによって演奏されています。アクースモニウムによって自作を上演する場合と、他人の作品を上演する場合とでは、準備やフェーダー操作などのアプローチに違いはございますでしょうか。

「アクースモニウムの演奏」とはつまり、多数のスピーカーから発せられる音をフェーダー操作(スピーカーそれぞれの音量の上げ下げ)によって演出する方法です。音源はCDなどの固定化された曲データなので、音楽のフォルム(尺など)が変わることはありません。そのうえで「曲をスピーカーを通して表現すること」においての自作と他人の作品との違いを申し上げます。

まず準備の点では、その労力のかけかたがかなり違います。自作演奏の場合は自分が作曲者なわけですから、作曲段階から何度もその構造や音の形などに付き合っていて、完成時にはその曲のことをよくわかっている状態でいるということになります。たとえ締め切りに追われて慌ただしく作ったものだったとしても、初演でしたら自分以外誰もその曲のことを知らないわけですから、どんな演奏をしてもとりあえず“間違い”にはなりません。ですから演奏にあたって改めて綿密な準備をするということは実際にはあまりありません。それは作曲と同時に既にあるという感じです。

しかし他人の作品はまずその構造や音楽的意図、次にディティール、を充分に理解する必要があります。作曲者の意図も大切ですが、同時に音楽そのものの意図とでもいいますか、そのコンサートの空間でどのように響かせれば曲が魅力的に鳴るかを考えて準備をするので、何度も聴き返したり、図形楽譜に起こして演奏プランを決めたりするための時間が圧倒的にかかります。

たとえばパルメジアニの作品は音楽的特徴がはっきりしていて、非常にダイナミックな性格を持っていますのである種の古典的な演奏型が有効に働きますし、デュフールの作品は明確な構成の中にも非常に官能的で親密な部分や伝統音楽の引用などが含まれますので、雄々しさと過剰なくらいの繊細さを同居させて演奏するようにしています。

フェーダー操作のアプローチは曲によりけりなので自分/他人での違いはありませんが、他人の曲を演奏するほうが何倍もプレッシャーがかかるので、心理的な違いはあるかもしれません。電子音響音楽の上演では必ずしもアクースモニウムを想定した作品ばかりがラインナップされるわけではないので、作曲家が作曲時に描いていた音響イメージとは違う空間になってしまう可能性もあります。しかしそこはもう別物だと割り切って、その上演空間での最適解を出していくしかないのだと思います。

w02 CCMC2014のアクースモニウム

 

 

■2014年5月に開催された「富士電子音響芸術祭2014」に参加されています。ピラミッドメディテーションセンターという特殊な環境における、オールナイトのイベントに参加されたご感想などお伺いできますでしょうか。

このフェスティバルの存在は私にとってあまりに大きすぎて、簡潔にお答えできそうにないのですが…(笑)

富士電子音響芸術祭」、通称FAFは2010年から5年間にわたって毎年開催された電子音響の祭典です。山梨の山間部という立地の特殊性もさることながら、アクースモニウムと8chマルチそしてハイレゾの同時再生を組み合わせた53ch70スピーカーというとてつもないシステムや、舞台美術や照明、香りの演出を伴った多層的な音体験、昼と夜・屋内と屋外を自然に横断しながら、時に集中し、時にリラックスして、思い思いの形で音楽に包まれる……そんな、音楽公演の枠を大きく拡張するイベントだと言えます。その点では作曲家として出演した、というより、作曲家/聴取者として体験した、音を取り巻く環境や人や感覚と出会った、というほうがしっくりきます。

FAF2014のゲスト・アーティスト、フランソワ・ドナト氏は「日本のアクースマティック音楽の多様性と豊かさに接することができた。フランス以外でこの国以上にこの音楽が盛んな国は多分ない」と参加した感想を述べていますが、アクースモニウムを核にしてこのような独自の在り方に発展するというのは、非常に興味深いことだと思います。

日本におけるアクースマティック文化の曙となったのは、15年以上前にパリで行われた日本人むけの電子音楽講習会「ACSM116夏期アトリエ」ですが、ここで学んだ作曲家たちが今それぞれの方法でこの分野での新たな試みを続けている現状があります。最初期のアトリエ講師としてINA-GRMにいらしたドナト氏にとっても、当時講習生だった吉原太郎氏が芸術監督を務め、ACSM116を運営し夏期アトリエを実現させた成田和子氏と吉田寿々子氏が顧問を務めたFAF2014への参加は、特に感慨深いものだったのではないかと察します。私自身2004年のACSM116・MOTUS夏期アトリエに参加したことがこの道に入るきっかけとなったので、電子音響のキャリア10年の節目に参加できてよかったです。

もうひとつ、このフェスティバルが私に及ぼした影響としては、自作における“半”作品的な在り方を自分自身が自然に受け容れることができたという点です。“半”作品的というのは松井茂さんが評してくださった言葉で、「フィールドレコーディング」という記録行為とその「編集」という作曲表現のあわいにあるような作品である、といった文脈でした。確かに近年の私の作品には、ある時間枠の中で作曲家が音のパラメーターを制御構築するという完全に自律的な構えが希薄であり、かといって戯れに記録したものを加工なく公開しているわけでもありません。

勿論このような作曲スタイルには自ら望んで向かっていったわけですが、もともとがクラシック/現代音楽畑で、はじめは器楽作曲を専門にしていましたので、やはりどこか音楽を作る者は自らが音の構造体を記号として規定し客体化しなければいけないのだという古い観念が長くついてまわりました。しかしどうもしっくり来ず、この観念を植え付けたであろう西洋の文化体系に対するルサンチマンを抱えながら敢えてフランスに移住したという経緯があります(笑)

フェスティバルでの諸体験はそのような“モノ”としての音楽ではなく“コト”としての音楽という捉え直しの経験でした。音楽の意味を行為や活動という側面にまで広げて考えると、リサーチや設営などの準備、その中での人との関わり、フェスティバル中の滞在で見たり味わったりしたこと、等々の実践的な部分もまた「音楽」の一要素です。音を記録し、それを見つめることも音楽実践かもしれません。

山梨の自然に囲まれて、音楽をすることで立ち顕れた現象や思いや新しい意味を楽しむことに旨味を見出すにつれ、「作曲家は自分の作品という“モノ”に全責任を負わなければいけない」というような気苦労は徐々にほぐれていきました。それは責任放棄ということではなくて、作品の在り方というのは自分らしくあっていいのだという、ばかみたいに単純なことですが、「音楽とはなにか」という音楽家一人ひとりが誰しもいつも独りきりで問うているあの問題の、わたしにとってのヒントが落ちていた場所でした。

w03FAF2014での演奏 © FAF・撮影は奥山和洋

 

 

■2015年2月にアサヒ・アートスクエアにて開催された「Asian Meeting Festival 2015」に参加されています。こちらのフェスティバルに参加された経緯や、フェスティバルではどのような演奏をされたのかお話しいただけますか。

「Asian Meeting Festival 2015」はアジアと日本間の交流促進を目的とした「アンサンブルズアジア」という長期プロジェクトの一企画として立てられ、大友良英さんをはじめとする日本のアーティストたちと、シンガポール・インドネシア・マレーシア・タイなど主にASEAN地域の様々なアーティストたちとのセッション形式で開催されたコンサートです。ターンテーブル奏者で現在香港在住のdj sniffさんがコンサートディレクター兼キュレーターを務めていました。

sniffさんとは古くからの知り合いだったわけではなく、2014年11月29日に原美術館で行われた「本田祐也ポートレートコンサート」に観客として行ったのですが、その際にナヤ・コレクティブの福永綾子さんが出演者であったdj sniffさんを紹介してくださいました。共通の知人の話やヨーロッパでの活動のことなど少しお話をしてその日は帰ったのですが、数日後にTwitterを介して「Asian Meeting Festival 2015」のオファーをいただき、出演の運びとなりました。

コンサートも行くものだなと思いました(笑)とてもありがたく思うと同時にどうして一度お会いしただけの私を呼んでくださったのかと疑問だったのですが、「参加者の中では最もアカデミックでヨーロッパナイズされた経歴だけど、作曲行為と演奏行為をキッチリ分けるヨーロッパ式に当てはまらず、自ら演奏することにも意味を見出している」というような紹介をしてくださっているのを見て、他の出演者と同様に未知で多様なアーティストとして捉えてくれたのかな、だとしたら嬉しいなと思いました。

当日のセッションでは、一時間半の大枠の中で常に4人ほどが演奏している状態をゆっくりローテーションしていくという独自のシステムの上で、思い思いに即興しました。私は前半に機材トラブルで失敗してしまい、個人的には悔いが残りましたが、イベント全体としてはとても豊かで充実した時間でした。色々なバックボーンをもった初めて出会う東南アジアの若いアーティストたちの音にも興奮しましたし、その後の交流も刺激的で楽しかったです。

w04共演者のKok Siew-Wai(ボイス・パフォーマー/from クアラルンプール)と

 

 

■2015年6月には、Asian Sounds Research プログラム「Open Gate」を取材にペナン島を訪問されています。ペナン島でのリサーチなどについてお話しいただけますか。

マレーシアのペナン島訪問はまさに前述の「Asian Meeting Festival 2015」がきっかけになっています。そのとき共演したSachiko Mさんがディレクターを務めており、Sachikoさんの「来てくれたら嬉しい」の一言で半ば押しかけるように訪れました。「Open Gate」はペナン島のジョージタウンという中心街にあって突如緑豊かな中庭を持つ“Hin Bus Depot”というコンテンポラリー系のアートスペースで約3週間にわたって行われたエキシビションで、現地や日本からの美術家がそこで制作を続けながら展示をし、時にはサウンドパフォーマンスなども催される、といった企画でした。

私はセカンド・シーズンにあたる週に滞在したのですが、到着したらみんなが発泡スチロールの上でヨガをやっていて、一瞬会場を間違えたかと思いましたが、さっそく参加してみると床のプチップチッという音、バイクが行き交う外の喧騒、中庭を通る風の音などが心地よく体に抜けていって、一気にこれから始まる「ペナン時間」に引き込まれていきました。まず、日中は暑いし湿気も多くて、とてもフル稼働できる気候ではないので、必然的に行動がゆるくなるんですね。無理をしない・マイペースをモットーに、こまめに休んで、お腹がすいたら屋台でちょっとだけ食べて…という生活をしていたら、東京での暮らしがリセットされて、音の受け容れかたも変わったように思います。

滞在中は常にポータブルレコーダー(SONYのPCM D50)にバイノーラルイヤホンマイク(ADPHOXのBME 200)を挿して歩いていました。「Open Gate」で録った音は同展示中のパフォーマンスで使われたりもしました。しかし、音を録りつづけることでわかったのは、当たり前の話ですが「録音は体験を記録しない」ということで、録音の無力を気持ちよく痛感しました。「現実音」という言葉がありますが、現実の音をコピーするというのは実際にはありえないことで、そもそも人が「現実」と呼ぶもの自体が多義的であるので、それを了解したうえで「現実っぽさ」つまりリアリティと戯れるという態度は、ペナン島が改めて注意してくれたことでした。

そのいっぽうで、「音をあるがままに聴く」というケージ的な態度はそのリスニング体験だけで満たされることができてしまうので、もうあまりわざわざ自分から作曲なんてしなくてもいいかな、などと思いがちなのですが(笑)、人間が規定した美や構造的規範からできた音楽作品も相変わらず大好きなので、作品の絶対的強度を疑いながらも何だかんだ作曲表現は続けていくのだろうなと思います。

w05 Hin Bus Depotの開放的な庭。

 

w06 Open Gateのロゴデザイン。

 

w07 屋台でも録音

 

 

■9月に開催される「サラマンカホール電子音響音楽祭」で初演される作品について教えていただけますか。

今回「サラマンカホール電子音響音楽祭」のために作曲したのは、パイプオルガンと電子音響のための「モデラート・カンタービレ」という曲です。マルグリット・デュラスの同名の小説から着想を得ています。

――風が常に吹きつける、フランスの退屈な港町。女は息子にピアノを習わせている。ある日、殺傷事件を目撃し、酒場に通うようになる。一人の男と事件について話すたびに、女の日常は少しずつ、酩酊するように崩れていく。――

ここで崩壊するのは女の内面であって、表面上はいたって穏やかな時間が流れます。普通の速さで船が行き来し、規則正しくサイレンが鳴る。この町のひっきりなしに風の吹くさまを、パイプオルガンになぞらえてみたくなりました。フランス語のテキスト朗読は写真家の山本郁さんにお願いしました。

デュラスについては、先に話題に出た「CCMC 2015」でのドニ・デュフールのデュラス生誕100年を記念して作られた曲を練習したことをきっかけに集中して読むようになり、のめり込みました。デュラスの小説は映像的と言われることが多いですが、「モデラート・カンタービレ」は音楽的な作品だと思います。タイトルもずばりなわけですが、文中にしばしばみられる音の描写も非常に具体的です。小説に散りばめられた、音を喚起させるセンテンスを中心にテキストを抽出し、電子音響の部分に編みこみました。

また、サラマンカホールのパイプオルガンは見た目が荘厳で、ついネオ・バロックのような豪華なサウンドを想像してしまいますが、実はスペイン・ルネサンス様式と北ドイツ・バロック様式が掛け合わさった非常に珍しいスタイルのオルガンです。実際に音を聴くと派手さよりも素朴さや内省的な面が印象に残ったので、繊細な曲にしたいと思いました。そういった意味でこの曲は「サラマンカホールのオルガンのために」書いたということになります。

風や波(ペナン島で採取したものです)のまにまに、朗読とパイプオルガンを織り交ぜて作曲しました。

w08サラマンカホールでパイプオルガンの説明を受ける © サラマンカホール

 

 

■現在、東京芸術大学大学院に在籍しておられます。どのようなご研究をされているのかお話しいただけますか。

音楽音響創造分野というセクションの博士課程で創作および論文執筆をしています。論文テーマは「リュック・フェラーリの電子音響音楽作品における逸話の構造」です。

リュック・フェラーリはミュジック・コンクレートの黎明期からテープ音楽に関わり、やがて自身の音楽スタイルを“逸話的音楽”と呼ぶようになります。そして90年代半ばくらいからデジタルツール(Pro-Tools)を使って作曲編集を始めるのですが、彼が直接作業したセッションファイルおよび音データを研究に際して幸運にも入手することができました。

これを目玉に分析をして、逸話的音楽がどういう成り立ちをしているのかを明らかにしていきたいと思っています。テープ音楽の分析方法はいろいろと試みられていて(川崎さんにこんなこと……釈迦に説法ですけれど笑)、音響解析のような手法はかなり発達してきていますが、リュックのように複合的な要素で編まれている作品についてはあまり先例がなく、試行錯誤しながらやっています。

作曲家の書いた楽譜や計画書などは何度も見たことがあり、また曲の仕組みが打ち込まれたプログラミングデータなども見た経験がありますが、Pro-Toolsのセッション画面はそのどちらとも似ているようで違う感触があり、作曲家の台所を覗くようでドキドキします。使われる素材があまり抽象的でなく、フィールドレコーディングしたものを剥き出しに使っているような印象を受けがちな彼の作品ですが、実際にファイルを見ると音データはすごく細かくアーカイビングされているし、各パラメーターの組み立てをみてもかなり古典的な意味で「作曲」してるな、ということがわかりました。自分が作家なのでつい自分の創作に引き寄せて考えてしまいますが、こういう生の資料(データではありますが)に触れることは本当に勉強になります。

w09学内での制作の様子 © Art Media Center

 

 

■今後の活動のご予定などお話しいただけますか。

コンサートの予定としましては、12月2日に静岡県の富士宮のAERAというスペースで「FAF ANNEX2015」と称する富士電子音響芸術祭のスピンオフ企画が開催され、32chほどのスピーカーで自作をアクースモニウム演奏します。

それから2016年の3月5日にはアンスティチュ・フランセ東京で恒例の「CCMC2016」を行います。ここでは自作に加えて例年のように仏人作曲家の作品をアクースモニウム演奏する予定です。

2016年2月末くらいにIWASE/VINCENTというパリおよびベルリンを拠点に活動するサックスとチェロのデュオが来日予定で、場所は未定ですが、なにかしらコンサートを企画すると思います。

 

■これからのますますのご活躍を期待しております。どうもありがとうございました!

 

 

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7月 20

JSEM電子音楽カレンダー/今月のピックアップ特別篇「サラマンカホール電子音響音楽祭」4

 

 

JSEM電子音楽カレンダーでは、担当の川崎弘二が、カレンダーに掲載されている各種イベントを「今月のピックアップ」として月イチでご紹介しております。

さて、2015年9月11日(金)から13日(日)にかけて、サラマンカホール(岐阜)にて「サラマンカホール電子音響音楽祭」が開催されます。

このフェスティバルは、サラマンカホールと情報科学芸術大学院大学(IAMAS)が主催し、日本電子音楽協会(JSEM)、先端芸術音楽創作学会(JSSA)岐阜県図書館岐阜県美術館との共催により開催されます。

日本電子音楽協会は、2日目の12日(土)に、「日本電子音楽協会 第19回 演奏会 響きあうバロックと現代」、そして、「テクノロジーと『作曲』の未来 JSSA/JSEM スペシャル・コンサート」というふたつのコンサートを開催します。

そこで「今月のピックアップ」も、「サラマンカホール電子音響音楽祭」に参加される方々を取り上げていきたいと考えております。「日本電子音楽協会 第19回 演奏会」にて新作を発表される佐藤亜矢子さんに、電子メールでお話しをお伺いしました。

 

salamanca
サラマンカホール電子音響音楽祭 ぎふ 秋の音楽祭2015 第2日 6. コンサート
「日本電子音楽協会 第19回 演奏会 響きあうバロックと現代」

日 程:2015年9月12日(土) 14時開演
会 場:サラマンカホール(岐阜)
入場料:一般2,000円[サラマンカメイト 1,800円]/学生1,000円(小学生~大学生 30歳まで・学生証要提示)
http://www.iamas.ac.jp/eams2015/

 

■9月に開催される「サラマンカホール電子音響音楽祭」で初演される作品について、現時点での構想を教えていただけますか。

《八月、青い緑》という2ch fixed media作品をアクースモニウム上演致します。この作品の背景についてお話します。

今夏、新潟で開催される「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2015」 において、私が在籍している東京藝術大学とパリ国立高等美術学校(エコール・デ・ボザール)による国際共同プロジェクトの成果発表として、展示とパフォーマンス・イベントが行われます。

パリのポンピドゥー・センターで展示され、今年京都で開催されたPARASOPHIAにも登場した作品《Café Little Boy》でおなじみのジャン=リュック・ヴィルムート Jean-Luc Vilmouth先生や、《Vegetable Weapon》などで知られる小沢剛先生といったアーティストの方々と共に進めているプロジェクトです。

私は当プロジェクトに音/音楽メンバーとして加わっています。東京藝大大学院美術研究科とボザールの美術学生達が、「私と自然」のテーマに基づいてパフォーマンスを創作しており、我々音/音楽メンバーはそのパフォーマンスで美術メンバーが実現しようとしているアイディアやコンセプトを元に、音/音楽を媒体として一つの時空間を形成するための作業を行っています。

音に耳を傾け互いに考えるワークショップやディスカッションを企画し、聴覚イメージから視覚イメージへと働きかけながら、国籍・分野の異なる芸術家同士で思考を重ね、また美術メンバーの実践してきたリサーチ・ワーク、フィールド・ワークを足掛かりにしつつ、作品の完成へ向けて日々取り組んでいます。

さらに、現地では数十人の子供達がワークショップを経て、パフォーマンスに加わります。 最終的には、身体・音・光・映像と「私」たち、そして「自然」が、ぶなが池の野外舞台で融合し、一つの総合芸術を繰り広げることとなります。

「サラマンカホール電子音響音楽祭」への出品作品《八月、青い緑》は、上記のパフォーマンスの為に創作した音楽の断片、活動の過程で録音した音、その他全てこの国際共同プロジェクトにまつわる音素材のみを用い、発芽からフィナーレまでの道筋をもう一度辿りながら、改めて自身の解釈による「私と自然」を音楽的に再構築したものとなります。

間もなく私も現地入りしますが、自然が豊かな地域に多種多様な芸術作品が立ち並ぶ越後妻有アートトリエンナーレの広い会場で、我々は心身すべてを使って「私」「他者」「自然」「社会」とぶつかり合うことになるでしょう。今までの当プロジェクトでの活動においても既に、多くの衝突・衝撃・摩擦がありました。ポジティブな意味で、です。いつだってこうしたぶつかり合いが結実して芸術へ繋がると信じていますし、創作ではこうしたぶつかり合う過程を大事にしたいと考えています。《八月、青い緑》は当プロジェクトで私がぶつかった/これからぶつかり合うはずの様々な物事から生まれることになり、尚且つそれらに対する私なりの回答となる筈です。

 

■9月末には、アメリカで開催される「第41回 国際コンピュータ音楽会議(41st International Computer Music Conference 2015)」においても、佐藤さんの「a membrane of membranes」という作品が上演されるようです。昨年も国際コンピュータ音楽会議にご参加されておられますが、その際の会議の雰囲気などお話しいただけますか。

ICMCは、2013年パース(オーストラリア)、2014年アテネ(ギリシャ)に続き、三度目の作品上演となります。今年はあいにく会場へ足を運ぶことが出来ないのですが、昨年と一昨年はこの大きな国際会議に出席しました。この業界(?)における最大級のイベントで、様々な地域から様々な国籍・年齢の大勢の人々が集まります。

001メイン会場

 

右を向いても左を向いても作曲家、音や音楽関連の研究者、サウンド・アート作家。時折、演奏家、発表者ではないけれど会議に出席している(音や音楽に何かしら関係がある)人、参加者の家族、など。場にいるだけでとてもエキサイティングです。ちなみに私の国際会議出席デビューは比較的最近で、台湾で開催されたWOCMAT 2012でした。その後毎年、何かしら海外での音楽祭や国際会議に出席していますが、やはりICMCは大規模で、最も特別なイベントの一つであるように感じます。

特に昨年は、SMCとのjointだったことやアテネという土地柄もあってか(離島観光などエーゲ海バカンスを楽しんだ方が多くいたようです。私も遺跡巡りを満喫しました)、恐らく主催者側も統制しきれないほどの多くの人々が出席し、多くのコンサート・多くの研究発表・多くのポスター……がひしめき合っていました。投稿数も多く、音楽作品の応募は900を超えていたそうです。

003深夜コンサート会場

 

レセプション・パーティは威風堂々とした建築が印象的なアテネ大学で行われましたが、会期中のメイン会場は近代的な文化施設とそこに隣接する映画館でした。また、インスタレーション作品展示は市内のあちこちに点在し、深夜のコンサートはかつて証券取引所だった建物、ゲストコンサートは遺跡を臨む丘の上の野外ステージ、とアテネの街全体が会場となっていました。毎日が素晴らしい天候に恵まれ、気持ち良い充実感を味わいました。

002アテネ大学

 

9月半ばのアテネはまだまだ夏真っ盛りで、秋の気配を感じ始めたパリに10日間滞在した後この地に降り立った私は、照りつける日差しとどこまでも青い空に心躍りました。1ヶ月間の海外滞在最後のイベントというそれだけでも胸を弾ませていましたが、20日間過ごしたフランスとはまた異なる空気に期待が膨らみました。コンサートでの自身の上演作品はfixed mediaでしたので、演奏者とのやりとりや楽器の準備も必要なく、リハーサルまで比較的気が楽に過ごせました(リハーサルの連絡が直前まで来ずハラハラしたのは、今となっては良い思い出です)。

004深夜コンサート会場

 

自身の創作や研究に関わるヒントを見つけたいということもあり、様々な方の研究発表やポスターを拝見し、コンサートや作品展示を訪れ、多くの方々と話をしました。学生であろうと教授であろうと、作曲家であろうと研究者であろうと、どんな国籍であろうと、声をかければ誰もが真摯に向き合ってくれましたし、会場のあちこちでそのように語り合う人々の姿がありました。ICMCに限った話ではありませんが、音楽の創作に携わる人々と、研究に携わる人々が、こうして一堂に会することの出来る場というのはとても貴重で重要なものと感じます。

005パルテノン神殿

 

個人的な感想ですが、音/音楽という共通のベースを有しながらも、作曲家が舞台とするのは自分の作品を演奏するコンサート・ホールであり、研究者が舞台とするのは自分の研究成果を発表する学会や論文誌であり、それぞれが別の領域のみで活動し、互いを知らぬまま過ごしているというケースすらあるように感じるからです。かく言う私も先述のように国際学会デビューは遅かったですし、修士論文を執筆するまでは音楽の「研究」ということに対して特に意識的というわけでは無かったように思います。しかし、ICMCを含めこうした場に来ると、創作と研究がまるで別個の分野に位置するのではなく、そしてその両面で活躍する方々も決して少なくないという事実に改めて気付かされ、視野が一気に広がる感覚を覚えます。

 

■今後の活動のご予定などお話しいただけますか。

◆8月6日 大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2015(新潟)
◆8月19〜23日 SI(シンガポール)《線に風窓》上演
◆8月20〜22日 Festival Futura(フランス)《線に風窓》上演(8月24〜29日 音楽祭の後に行われるFuturaアクースマティック演奏夏期講習会も受講します)
◆9月11〜13日 サラマンカホール電子音響音楽祭(岐阜)《八月、青い緑》上演
◆9月25〜10月1日 ICMC(アメリカ)《a membrane of membranes》上演

現在は、トリエンナーレ作品の他に複数の創作や論考などを進めており、いずれ発表できる予定です。その際はJSEM電子音楽カレンダーにも情報を掲載して頂ければと思います!  創作と研究の両面で活動していますが、長年創作中心にやってきましたので研究には苦戦しているのが正直なところです。しかし今後もJSSA(先端芸術音楽創作学会)研究会などで研究発表は定期的に行っていくつもりです(JSEMとも所縁のあるJSSAでは今年度から運営委員を務めています)。

Festival Futuraではちょうどリュック・フェラーリ没後10年となる8月22日に私の作品を上演して頂けることを、大変光栄に感じています。この日はフェラーリの《ほとんど何もない Presque Rien》4作品の上演も予定されており、これらの作品を研究題材に掲げている私にとって特別な1日となりそうです。

 

■これからのますますのご活躍を期待しております!

どうもありがとうございました! こちらこそ、ありがとうございました。まだまだ勉強不足ですが、頑張ります。

 

 

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7月 15

JSEM電子音楽カレンダー/今月のピックアップ特別篇「サラマンカホール電子音響音楽祭」3

 

 

JSEM電子音楽カレンダーでは、担当の川崎弘二が、カレンダーに掲載されている各種イベントを「今月のピックアップ」として月イチでご紹介しております。

さて、2015年9月11日(金)から13日(日)にかけて、サラマンカホール(岐阜)にて「サラマンカホール電子音響音楽祭」が開催されます。

このフェスティバルは、サラマンカホールと情報科学芸術大学院大学(IAMAS)が主催し、日本電子音楽協会(JSEM)、先端芸術音楽創作学会(JSSA)岐阜県図書館岐阜県美術館との共催により開催されます。

日本電子音楽協会は、2日目の12日(土)に、「日本電子音楽協会 第19回 演奏会 響きあうバロックと現代」、そして、「テクノロジーと『作曲』の未来 JSSA/JSEM スペシャル・コンサート」というふたつのコンサートを開催します。

そこで「今月のピックアップ」も、「サラマンカホール電子音響音楽祭」に参加される方々を取り上げていきたいと考えております。「テクノロジーと『作曲』の未来 JSSA/JSEM スペシャル・コンサート」にて作品を発表される福島 諭さんに、電子メールでお話しをお伺いしました。

 

salamanca
サラマンカホール電子音響音楽祭 ぎふ 秋の音楽祭2015 第2日 8. コンサート
「テクノロジーと『作曲』の未来 JSSA/JSEM スペシャル・コンサート」

日 程:2015年9月12日(土) 18時30分開演
会 場:サラマンカホール(岐阜)
入場料:一般2,000円[サラマンカメイト 1,800円]/学生1,000円(小学生~大学生 30歳まで・学生証要提示)
http://www.iamas.ac.jp/eams2015/

 

■2014年11月に発表された「第18回 文化庁 メディア芸術祭」において、福島さんは「patrinia yellow for clarinet and computer」という作品により優秀賞を受賞されています。こちらの受賞作についてお話しいただけますか。

この作品はクラリネットとコンピュータのための楽曲です。クラリネットの演奏音をリアルタイム・サンプリングして加工処理を加え楽曲を成立させます。このようにソロ楽器とコンピュータを介在させたスタイルは、これまでも和歌山の作曲家/サクソフォン奏者の濱地潤一さんと試行錯誤を続けてきていました。そうした積み重ねの上に位置する大切な作品です。

楽曲は2013年10月29日に韓国ソウル「Seoul International Computer Music Festival 2013 20th anniversary」にて初演しました。初演のクラリネット奏者はアンサンブル・コンテンポラリーα鈴木生子さんです。

私がこのフェスティバルへの参加できたのは、アンサンブル・コンテンポラリーαが招聘グループとしてフェスティバルに招かれたことがきっかけです。現在アンサンブル・コンテンポラリーαの代表でもあり日本電子音楽協会の会員でもある田村文生さんが日本人作曲家の作品も数点紹介するために日本電子音楽協会のMLで希望者を募ってくださいました。とても感謝しております。

楽曲は無事に初演されましたが、この楽曲中で行われている仕組みやコンピュータ内部での働きなどをしっかり記録しておく必要性を感じ、それから約8ヶ月をかけて楽譜を制作しました。本作で試みられているのは、女郎花(オミナエシ)という植物の1年の周期に楽曲をなぞらえて全体を構成してみようというアイディアでした。

ただ、そう書いてしまうと植物のもつ美しさを「作者の主観的な音楽」によって表現したのだろうと思われたり、あるいは植物の発する生体信号を何らかのデヴァイスによって収集し音楽に「変換」したのだろうなどとも思われがちのようです。しかし、私が切実に考えたのは音楽に「美しさ」があるとして、同じように「美しさ」を内在する(であろう)より具体的な対象として植物の構造からヒントを得ることも可能ではないか、という素朴な問いでした。そのため、作業は主観と客観の中間を目指すようなやり方になりました。

そうして結果的には、私が本作品で意識的に選択した音というのは前半で吹かれる4つの音と、後半で吹かれる2つの音だけとなり、その後はその変換方法とコンピュータ処理内の構造的な仕組みを組み上げることに創意を向け完成させました。

楽曲は、女郎花の長い花茎(かけい)の成長、開花、そして衰退という3部に分かれ、それぞれ繋がって演奏されます。

より詳しい解説は楽譜内に記載してあります。
http://bookofdays-shop.com/?pid=82944115

 

■2015年1月には、新潟にて開催された「Spectra Feed」というイベントに参加され、「branch of A」という作品が初演されているようです。こちらの「branch of A」という作品についてお話しいただけますか。また、福島さんは新潟という場所を拠点に活動を続けておられますが、新潟という場所はご自身の創作に影響を及ぼしているとお感じでしょうか。

まず、イベント「Spectra Feed」の詳細は以下URLでご覧になれます。
http://www.shimaf.com/s/

《branch of A》は尺八とコンピュータのための楽曲です。日本の伝統楽器とコンピュータ処理との関係には興味がありどのような可能性があり得るか長く探っている段階なのですが、《branch of A》の前には《cell walls》(’13)という楽曲もありそのときの問題点をブラッシュ・アップしています。今回の《branch of A》は5小節×5の25小節からなる旋律を作り、それを元に構成しました。この旋律は25小節吹き終えてまた冒頭に戻ることのできるもので、循環的に閉じています。

また、今回はCPUへの負荷の問題もあり、リアルタイム・サンプリングは用いずに、あらかじめ録音しておいたこの25小節の旋律を、ピッチの高さと再生速度とを独立させて変調、再録音したものを作成し、それらをリアルタイムに操作しながら演奏しています。尺八の演奏においては、奏者の意見を多く取り入れました。楽譜の旋律を基本としながら2周目、3周目と形を崩す吹き方や、全体の構成に至まで、奏者とのやり取りを通じながら少しずつ決定していきました。

また一方で、《branch of A》では楽曲の即興的なアプローチも否定していません。全体の構成は決めているので大きな逸脱はありませんが、その中で毎回生じる音の枝葉の響きあいに、主眼をおいています。

尺八とコンピュータのシリーズは機会があればまた今後も継続していく予定です。いつかは分かりませんが、次の作品あたりでもっと明確な方向性を掴めたら、と願ってもいます。

こうしたことをなぜ続けるのかと言えば、ひとつには日本の伝統楽器への興味ということになりますが、もっと私にとって重要なのは奏者の福島麗秋が私の父親だから、ということになります。即興的なアプローチにおいてその間合い等に自分の影のようなものを感じる瞬間があり、なにか不思議な感覚を覚えました。これは他の奏者と即興演奏をしたときには感じるものではなく、なにか重要な視点であるとも思っているのですがまだ充分にそれへの言葉を持ちません。だからまだ続けなければと思える課題となっています。

新潟という土地は今の私の創作速度やスタイルなども考えた上で、悪くないと感じています。その理由は、なによりも私はここで育ったという一点において適しているのだろうと思えるからです。土地の持っている気候等について感覚を共有できる仲間もいます。実は今年3月に新潟県内で引っ越しをして、新潟の中でも自分が一番多くの時間を過ごした土地に戻りました。幼少期から大学くらいまで過ごした土地なのですが、変わらないものや、変わったもの、世代的に幾分高齢化している地域の雰囲気などから、自分の記憶の随分奥のほうが刺激されます。

作業用の部屋にはこれまであちこちに散らばっていたCDや書籍などをできるだけ集めました。気になった時にすぐにアクセスできる空間を物理的に持つことで、効率的に進められるものも増えている気がします。反面、いろいろ思い出したりすることで精神的にもある程度の重量感を感じ、決して身軽ではありませんが、今はこういうスタイルの時期だと感じています。生活全般が過去の記憶と何らかの関係を持つトリガーになっているとも言えるのです。

和歌山の濱地潤一さんやMimiz鈴木悦久さん(名古屋)、飛谷謙介さん(神戸)などと、音楽の共同作業もできる範囲で続けていますが、やり取りはほとんどがメール等で進めていますので遠方の方とのやり取りもそれほど苦になりません。必要な時だけ体を移動させますが、あとはわりとのんびりと新潟で時間を使っています。

 

■2015年5月には、「ラ・フォル・ジュルネ新潟」に出演され、「patrinia yellow」「branch of A」のほか、「フロリゲン ユニット」「Bundle Impactor」という作品も上演されたようです。出演された経緯について、また、上演された作品などについてお話しいただけますか。

今年の始めに「ラ・フォル・ジュルネ新潟 2015」の事務局の方からご連絡をいただきました。今回のラ・フォル・ジュルネのテーマが特定の作曲家を対象にしたものではなく、「PASSIONS パシオン〜恋する作曲家たち〜」という幅の広いものになったこともあり新潟出身者の中から幅の広い表現を集めるということで声をかけてくださったようです。

基本的には伝統的なクラシック音楽の集まる祭典に、コンピュータ音楽として参加するのは、我々は勿論、事務局側としてもひとつの挑戦だったと思います。演奏会の内容について事務局側と相談する中で、コンピュータと生楽器のための曲に絞ることとなり、各作品の初演をしてくださった奏者の皆さんも集まれるという幸運も重なり実現しました。

会場は燕喜館(えんきかん)というところで、和室3部屋分縦に長い空間で行われました。PAはスピーカを6台(6チャンネル)を縦長の空間に配置しました。公演は昼の回と、夜の回との2回公演で各回45分のプログラムでした。1公演定員80名で2公演とも満員で向かえられたのは事務局の力だと感じています。

《フロリゲン・ユニット》(’11) は2管のクラリネットとオーボエとコンピュータのための作品で、PAも小型の無指向性スピーカを1台使うだけのコンパクトな室内楽です。第6回JFC作曲賞入選作品で、2011年11月11日にトッパンホールにて初演されました。奏者は伊藤めぐみ(Cl)さん、櫻田はるか(Cl)さん、山口裕加(Ob)さんでした。

今、聴きかえせば素朴なものですが、私がその後もこうしたアンサンブル作品を作っていくためのスタート地点となった大切な楽曲です。再演できたことを嬉しく思いました。

《Bundle Impactor》(’13)は2管のクラリネットとオーボエ、アルト・サクソフォン、そしてコンピュータのための作品です。PAのスピーカは6チャンネルで演奏されます。2013年3月7日にアサヒ・アートスクエアにて初演しました(日本電子音楽協会創立20周年記念事業「時代を超える電子音楽」)。作品の詳細はWEBに上がっています。

《フロリゲン・ユニット》の3名に濱地潤一さんのアルト・サクソフォンを加えた編成の楽曲です。コンピュータは常に定まった処理を行いますが、その処理に使用されるサンプリング音は奏者の演奏状態によって毎回流動的に変化します。具体的には、2管のクラリネットとオーボエのアンサンブルは決められたテンポを保つのですが、アルト・サクソフォンのテンポ指定はだいぶ幅のある設定になっており、演奏中に任意で揺れることさえ許されています。

それぞれの楽譜はもともと同様の音群を使用されているものの、その読み方は異なっています。作品は“時の採取と分析”ということに焦点を充てていますが、もともとは同じ情報なのに読み違えなどによって起こる摩擦とかそこから結果的に形作られるイメージの肥大さなどについて、日常やメディア上で起こり得るすっきりしない思いを感じていた頃の楽曲です。

《branch of A》(’15)は今年1月に砂丘館で演奏した作品をブラッシュアップしての再演でした。もともと即興的な部分も多く含む作品なので毎回様子は異なりますが、夜の回では明確に整った演奏ができました。

《patrinia yellow》(’13)は3度目の再演を終えました。再演に際して奏者の鈴木生子さんは演奏法の意識的な変更を行ってくださり、より丸みのある響きが形作られました。夜の回の演奏はコンピュータの内部的にもミスはなく、理想の演奏になりました。

 

■9月に開催される「サラマンカホール電子音響音楽祭」で上演される「春、十五葉」という作品について教えていただけますか。

《春、十五葉》(’15)は「ラ・フォル・ジュルネ新潟 2015」で親しい奏者が各地から集まってくれることを良い機会だと思い、木管奏者5人で演奏できる新作を、という気持で作曲したものです。初演は「ラ・フォル・ジュルネ新潟2015」の公演内で2015年5月9日に行われました。

しかしこの初演は奏者の演奏する楽譜は決まっていたものの、コンピュータの内部処理に満足のいく結果を残せなかった、という思いが残念ながら残りました。9月12日のサラマンカ・ホールに向けてコンピュータ処理は大幅に改訂することとし、現在取り組んでいます。コンピュータの処理は1オクターブを15に等分する(15平均律)を基準としていますが、これは12平均律の世界から見た場合は基音を含めて3つの音が共通の音になり、他の音は平均律より少し高いか少し低いように聴こえるなどの特徴があります。

もともとこの作品は「15」という数字を見つめながら広がっていった発想を骨組みにしています。過去、現在、未来と名付けた3つのセクションに分かれる構成を持ち、木管の演奏パートとコンピュータのリアルタム・サンプリング処理によって成立する楽曲です。日本には四季がありますが、「四季のうちの春と秋は生物の活動が生んだものである」(大場秀章著「初めての植物学」)という記述を読んで何か感じ入るものがありました。確かに桜が咲く少し手前の時期等は植物からの強い気配を感じるようにも思います。作曲時期もそのような強い予感に満ちた春に行ったこともタイトルと関係しています。

人は何かを「予感」することがありますが、それはどのような機構が働いているのでしょうか。

個人的な身の回りの環境とは別に、もっと国とか世界とか大きな視点で考えてみた時に、これからの未来に対して決して楽観的にはなれない何かを感じることが多くなりました。これは一体何だろうかと戸惑ううちに、いつしか「予感の構造」としてこの楽曲を成立させたいと思うようになりました。そのような構造化が可能かどうかは分かりませんし、実際かなり難航していますが、何かを予感するということについて考えることこそが未来について考える素朴な第一歩なのではないか、とさえ今は思っています。

《春、十五葉》はまだまだ揺れ動いていますが、9月の改訂初演に向けてしっかり考察を深めたいと思います。

 

■今後の活動のご予定などお話しいただけますか。

7月中旬から新潟市で始まる「水と土の芸術祭」に吉原悠博さんが映像インスタレーションを発表します。私はその作品「培養都市」の音を担当させてもらっています。また、12月には合唱曲の初演を新潟で予定しています。

そのほかは主立った公演などはありませんが、その間に濱地潤一さんが作曲された2作品《layered music 》(’08~’15)、《分断する旋律のむこうにうかぶオフィーリアの肖像、その死に顔。》(’12〜’13)の楽譜化、そして私の《春、十五葉》(’15)の楽譜化をすすめる予定でいます。

しかし何よりもまずは9月12日のサラマンカ・ホールでの演奏を無事良いものにできるよう最善を尽くします。

 

■これからのますますのご活躍を期待しております。どうもありがとうございました!

こちらこそ、ありがとうございました!

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