JSEM 電子音楽カレンダー/2016 年 7 月のピックアップ

 

 

JSEM 電子音楽カレンダーでは、担当の川崎弘二が、カレンダーに掲載されている各種イベントを「今月のピックアップ」として 2014 年 8 月より月イチでご紹介して参りましたが、2周年を迎える今回にて最終回となります。ただ、2016 年 6 月のイベント紹介と、7 月の新譜ディスク紹介がまだ残っておりますので、実際の最終回はしばらく後になります。

2016 年 7 月に開催されるイベントから、7 月 14 日に北とぴあ つつじホールにて開催される「東京現音計画 #07 クリティックズセレクション1:沼野雄司」をピックアップいたします。こちらのコンサートのプログラム監修を担当された沼野雄司さんに電子メールでお話しをお伺いしました。

 

TGK07_flyer_omote-001-624x882

 

東京現音計画 #07 クリティックズセレクション1:沼野雄司
日 時:2016 年 7 月 14 日(木)19:00 開演(18:30 開場)
会 場:北とぴあ つつじホール(東京都北区王子 1-11-1)
入場料:前売 3,000 円、大学生・専門学校生 1,000 円、当日 各種一律 3,500 円、高校生以下無料
http://tokyogenonproject.net/?p=381

スティーヴ・ライヒ / 振り子の音楽(1968)
パオロ・カスタルディ / エリーザ(1964/67)
ハヤ・チェルノヴィン / 十字路(1995)
クリスチャン・ウォルフ / エクササイズ5(1973-74)
ホラチウ・ラドゥレスク / オリジン(1997)
ヨアキム・サンドグレン / 押収品(2011-12)
スヴェトラーナ・ラヴロヴァ / 重力(2013)
ルイ・アンドリーセン / ワーカーズ・ユニオン(1975)
演 奏:東京現音計画
客 演:宮村和宏、大田智美

 

新たな抵抗に向けて 東京現音計画 #07 関連トーク
出 演:沼野雄司(音楽学、桐朋学園大学教授)、東京現音計画メンバー
ゲスト:毛利嘉孝(社会学・文化研究、東京藝術大学教授)
日 時:2016 年 7 月 9 日(土)14:00 開演(13:30 開場)
会 場:Tokyo Concerts Lab.(東京都新宿区西早稲田 2-3-18)
入場料:1,000 円
https://www.facebook.com/events/542210725969209/

 

 

■沼野さんはこれまでにどのようなコンサートのプログラムを手がけてこられましたでしょうか。また、今回、沼野さんが東京現音計画のコンサートのプログラム監修をご担当されるようになった経緯についてお話しいただけますか。

学生時代に仲間とやっていたサークル活動みたいなものを除けば、プログラムを一人で組んだのは、今年の2月にニューヨークで行われた「ミュージック・フロム・ジャパン」の演奏会(日本人作曲家特集)のみだと思います。ただ、それ以前にオペラシティ「コンポージアム」やサントリーホールの「サマー・フェスティバル」の企画にはずいぶんと長く関わっていたので、共同でということであればだいぶ経験はあります。で、今回の経緯といっても、単に有馬さんから電話が来たということです(笑)。かなり責任が生じるので躊躇もありましたが、自分にとってもよい機会だと思ってお引き受けしました。

 

■今回のコンサートのチラシにおいて、沼野さんは「現代音楽とは、何らかの抵抗の謂いである。/このテーゼが間違っていないならば、それはすなわち最広義においての政治運動に他ならない。かつて『政治と音楽』は大きな主題として我々の前に横たわっていた。政治的なテーマによる作品が多く書かれたというだけではない。重要なのは、社会との関係を検討する中で、あるいは社会とのさまざまな摩擦を経験する中で、音楽という行為の根源を問うような作品が次々に産みだされた点にある」と述べられています。1965 年生まれの沼野さんが、今回のプログラムで「政治と音楽」をテーマに選ばれた理由や、その背景などについてお話しいただけますか。

チラシの文章でも触れていることですが、「政治」というのは狭義のそれ──例えば自民党か共産党か、みたいな──だけではなく、まさに最広義での「政治」という意味です。つまり自分と他者が社会の中でどう関わるのか、という問題。いわゆる「現代音楽」は現在も盛んに書かれているし、その技術はずいぶんと洗練されてきていると思うのですが、僕らの人生を変えるような一撃というのにはなかなか出会えない。もちろん、これは単に自分が歳をとったせいでもあるだろうし、ごく単純に聴いている絶対量が少ないせいでもあるでしょう。

ただ、こう言ってしまうとバカみたいな表現なのですが、僕としてはなんでもいいから、なにがしかの知的な刺激がほしいのです。たとえそれがネガティブなものであってもいい。音楽としてはくだらなくても一向にかまわないので、ともかくそれを媒介にして、自分の組成みたいなものが変わるという体験がしたい。音楽による試みが、自身と世界の関係を更新するようなあり方を求めているということです。これは端的にいって「政治」の問題ではないかと考え、キーワードに据えました。

 

■上記した引用文の中にある「音楽という行為の根源を問うような作品」として、スティーヴ・ライヒ「振り子の音楽」(1968)、パオロ・カスタルディ「エリーザ」(1964/67)、クリスチャン・ウォルフ「エクササイズ5」(1973-4)、ルイ・アンドリーセン「ワーカーズ・ユニオン」(1975)が「かつての『政治の時代』を象徴する 1968 年前後に書かれた問題作」としてセレクトされています。これらの作品において、どのようなかたちで「音楽という行為の根源」が問われているのか、沼野さんのご見解をお聞かせいただけますか。

これらの作品の共通点は、とにかくシンプルかつ単純であることです。誰でも聴けば分かるように、狙いがはっきりしている。作品としての「完成度」とか「エクリチュール」みたいなものは、僕にとっては二の次です。もちろんそれらを無視することはできませんが、選ばれた書法が「ごく単純な狙い」に徹底的に、しもべのように奉仕するというのが好ましいあり方です。これらの作品はそれを達成しているのではないかと考えました。音楽という行為の根源、という表現を別の言い方にすると「ある意味では、あまりに単純な仕掛けの作品」ということにもなります。単純な仕掛けだから、仕掛け自体がよくなければ終わりだし、どうしたって仕掛けの限界も見えてくることでしょう。でも、それが選曲の狙いなんです。

 

■さらに、沼野さんは「その後の創作界の『沈滞』の一因は、音楽が政治性を喪失した点にも求められるのではなかろうか。あれから世界の見取り図は大きく変化したけれども、ようやく新しい政治の時代が到来している感触がある。それは単なる右・左といった枠組みを越えた、重層的な抵抗運動を形成するだろう」と述べておられます。言語化するのは難しいかもしれませんが、現在、沼野さんはどのような「新しい政治の時代が到来している『感触』」をお持ちなのか、お話しいただけませんでしょうか。

ここら辺のくだりはちょっとばかり、単なる「文章芸」みたいなところがありますね。こういうところをきちんと突いてくるあたりが川崎さんだ……(笑)。ただ、抽象的で漠然とした感触に過ぎないとはいえ、こういうことを感じているのは本当です。ドイツやフランス風ではなく、しかしドメスティックともいえない作品がどんどん増えている。東京でしかやっていなくても「ドメスティックではない」という印象が大事だと思います。

 

■ 90 年代以降に作曲された作品として、ハヤ・チェルノヴィン「十字路」(1995)、ホラチウ・ラドゥレスク「オリジン」(1997)、ヨアキム・サンドグレン「押収品」(2011-2012)、スヴェトラーナ・ラヴロヴァ「重力」(2013)がプログラムされており、サンドグレンとラヴロヴァの作品にはエレクトロニクスが含まれています。これは東京現音計画の編成といった要因もあるものと思われますが、「きわめてラディカル=根源的な響きの作品」をピックアップするにあたり、エレクトロニクスの要素は意識されましたでしょうか。また、これらの3つの作品を選ばれた根拠や基準など、プログラミングにおいてはご苦労されたものと思われますが、その経緯についてお話しいただけますか。

特にエレクトロニクスの要素を意識したということはなく、また実際、これらの作品におけるエレクトロニクスの用法は特に新しい類のものではないと思います。また、ラドゥレスクはともかく、まだあまり日本では紹介されていない作曲家を選ぶにあたっては、海外に住んでいる友人・知人にも情報をもらいながら(また、作曲家の連絡先などに関しても、いろいろな人にお世話になりました)、少しずつ先のようなタイプの、すなわちシンプルな音楽を書く作曲家を探していきました。さらに、ある程度は意識的に、地域的に「周縁」の作曲家を選びました。

また、当然ながら大前提としては、「東京現音計画」の異様な楽器編成と合致しなければいけない。これは本当に大変で、途中で絶望的な気分になりました。実はチェルノヴィン作品は、もとはコントラバスが入っている編成です。どうしてもやりたいので、コントラバスのパートをチューバで演奏することはできないかと作曲者にコンタクトしたら、「クレージーなアイディアだが、チューバ奏者が優秀ならば試してみてもいい」と答えが返ってきた。そこで、これ幸いと橋本さんのサンプル音源を送ったら「素晴らしい奏者!ぜひこれで行きましょう」と OK が出たのです。ごく小さいことですが、こうした交渉のあれこれも、今回の「政治」の試みの範疇だと考えています。

 

■沼野さんは日本電子音楽協会の特別会員というお立場ですが、今後の日本電子音楽協会について、そして、広い意味での電子音楽の未来について、どのような展望をお持ちでいらっしゃいますでしょうか。

あまりに難しい問いで……ともかく「電子音楽」という括りはどんどん無効化してゆくと思っています。そもそも、いわゆる伝統的なクラシック音楽に関しても PA を入れてしまえばよいと僕は考えているので、その意味ではエレクトロニクスの重要性が減じることはないでしょう。大丈夫です。安泰です。

 

■コンサートのご成功をお祈りしております。この度はどうもありがとうございました!

Permanent link to this article: https://jsem.sakura.ne.jp/jsemwp/?p=1622