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11月 22

JSEM電子音楽カレンダー/2014年12月のピックアップ

JSEM電子音楽カレンダーでは、担当の川崎弘二が、カレンダーに掲載されている各種イベントを「今月のピックアップ」として月イチでご紹介しております。

2014年12月に開催されるイベントから、今回はアンダースロー(京都)で開催されるレクチャー「 フォルマント兄弟 音/声が生まれる!」をピックアップいたします。

このレクチャーにご出演される「フォルマント兄弟」の弟、佐近田展康さんに、今回のレクチャーについてのお話しを電子メールでお伺いしました。

 

■佐近田さんと三輪眞弘さんによるユニット「フォルマント兄弟」は、「結成以来一貫して独自に開発した音声合成システムを人間の手で操作(演奏)し、リアルタイムで発話/歌わせる試みを続けてきた」とあります。フォルマント兄弟による活動の軌跡は、2013年3月にご発表された論文「『兄弟式リアルタイム音声合成演奏システム』の概要と背景」にまとめられております。この論文をまとめられた2013年以降、フォルマント兄弟はどのような活動をされてきたのかお話しいただけますか。

フォルマント兄弟は、この3年ほどのあいだMIDIアコーディオンで人工音声を喋らせる/歌わせる研究に没頭して来ました。その一番大きな成果として「兄弟式〈国際〉ボタン音素変換標準規格」を発表したのが、2013年5月でした。

アコーディオンにはたくさんのボタンがあり、ピアノ式鍵盤もあり、さらに呼吸や発声を直観的に連想させる蛇腹がありますね。人工音声をコントロールするインターフェイスとしてはドンピシャなので以前から兄弟は注目していたのですが、科研費研究として採択されたことで進めることができました。

ローランドVアコーディオンというMIDI対応電子アコーディオンを使って、左手のボタンで言葉の音素(/a, i, u, e, o, ka, ze, byo…/など)を選択し、右手の鍵盤でメロディや抑揚を、そして蛇腹で音量や声の張り具合をコントロールしようとしたわけです。

苦心したのは左手ボタンにどのようなルールで音素を割り当てるかで、紆余曲折の結果、「12個の子音ボタン+動的に決まる母音ボタン」のコンビネーションの発想にたどり着きました。そうしてみると、子音ボタン単独発声とか複数の母音ボタンを同時押しする中間母音、蛇腹だけ動かす呼吸音など、次々と連鎖的に発想が広がって、原理的には日本語だけでなく外国語にも拡張可能な配列ルールへと発展したのです。これはMIDIキーボードをインターフェイスにしていた時代にはなかなか考えつかなかったことですね。

Youtubeにアップしているビデオ『フォルマント兄弟の長くまっすぐな道』では、これまでのフォルマント兄弟の道のりやMIDIアコーディオン規格の具体的内容を分かりやすく解説していますのでご覧下さい。

 

またMIDIアコーディオンで歌うムード演歌『夢のワルツ』スタジオ版では、岡野勇仁さんが演奏しているボタンがアニメーションによって表示されます。

 

それと、ついこの間の11月8日に、いずみホール(大阪)で行われた「TRANSMUSIC──三輪眞弘を迎えて」では、『夢のワルツ』をオーケストラ伴奏で演奏するというまさに兄弟の「夢」が実現しました! ぼくも演奏家としてオーケストラに混じってギターを弾いたのですが、ホントに気持ちよかったです。また、兄の三輪さんの新作『万葉集の一節を主題とする変奏曲』でも岡野勇仁さんが演奏する兄弟式人工音声の歌唱が大きくフィーチャーされました。

 

■今回のレクチャーは「地点」という劇団による「カルチベート・プログラム」という催しの一環として開催されます。「地点」の特徴のひとつとして、「地点語」と呼ばれる独特な発語による上演が行われていることが挙げられると思います。今回「地点」からの招聘で、フォルマント兄弟がレクチャーを開催される意義について、どのようにお考えでしょうか。

イェリネク作『光のない。』の音楽監督を三輪さんが担当した関係で、ぼくは初めて地点の演劇を見たんです。もういきなり殴られたような衝撃を受けました。冒頭のシーンで、ワタシ/アナタ/ワタシタチ/アナタタチという言葉が執拗に繰り返され、「地点語」と言われる特異なイントネーションの発語で異化され、言葉の意味が解体して行くわけですね。

この4つの語、4つの概念を隔てる境界のゾっとする深淵が垣間みれるような、あるいはその差異が無化されるような、平気で意味が消えたり入れ替わったりするような、こうしたことが次々と起るショックな体験でした。喩えが変ですが、この4語を鍋に入れてじっくり加熱したら、ひとつのものだったはずの言葉が、意味/音/声/身体へと分解し始め、ねじれた化学反応を起こすような…そんな感じです。声が言葉として意味を担うということが、とても不思議で危うく思えて来るのです。

それですぐにピンと来ました。人工音声を作ったり歌わせたりしているときに兄弟がいつも体験している音/声/言葉の認知問題とすごく似ている。劇団地点のように役者さんの発声やイントネーションをあえてモディファイすることや、兄弟がやっているように声をゼロから作って発声そのものを技術的な方法であえて迂回することは、あまりにも身近で当たり前すぎる「声」をあらためて意識化し、その根源に遡及するような行為だと思うんです。

そうすることによって、《音》が《声》になり《言葉》になるギリギリの境界線上で考え、表現する…そこが共通しているように感じたのです。ですので、お題としていただいた「音/声が生まれる!」というレクチャー・タイトルは(2語を分割するスラッシュ記号を含めて)とても象徴的だと思っています。

 

■「音/声が生まれる!」というレクチャーの内容やその形態について、現時点でのご予定などお話しいただけますか。

当日は兄弟に加えて演奏家の岡野勇仁さんにも東京から来ていただきますので、お話と演奏で構成することになると思います。内容はまだ兄と相談してないのですが、やっぱりタイトル通りに「音/声」の境界の話は入って来るでしょうね。もう少し言えば「音/声/言語」の境界やそれを飛び越える体験の話でしょうか。

兄弟の人工音声で紡ぐ言葉は、自分たちの耳にはちゃんと聞き取れているのですが、お客さんには「何を言っているのか分からない」といつも言われます(苦笑)。これでも作品ごとに音素パラメータを改良して識別度を上げる努力は重ねているんですが、確かにお世辞にも聞き取りやすいとは言えません。ただ、この時、お客さんはとても重要な体験をしているハズなんですね。それは「音/声/言語」の境界を行きつ戻りつする体験です。

例えば、ブザー音にしか聞こえなかった《音》が、ある瞬間に《声》として聞こえるようになる。そうなると「言語スイッチ」とぼくが呼んでいるものが自動的に入って、何を言っているのか《言葉》を聞き取ろうとする構えになる。

このスイッチのON/OFFは自分の意志でコントロールできない自動的なプロセスで、いったんONになっちゃうと、今度はもう《音》として聞くことはできなくなります。これって大袈裟に言えば、言語動物としての人間存在の核心部分に触れる体験で、しかも現実の音声コミュニケーションでは決して露呈しない部分に技術を使って触れているわけです。この辺りの話をじっくり踏み込んで話したいなと思っていますし、できればお客さんにもこのスイッチの体験をしてもらえればいいなと思います。

 

■フォルマント兄弟の今後のご予定や目標などについて、佐近田さんからの視点を教えていただけますでしょうか。

ぼくはフォルマント兄弟の活動を大きく2つの方向に整理できるように思っています。

まずひとつ目は、人工音声を人間の手で演奏しリアルタイムに喋らせたり歌わせたりする活動です。MIDIキーボードで演奏する『兄弟deピザ注文(2003)』に始まり、『NEO都々逸(2009)』、そしてMIDIアコーディオンによる『夢のワルツ(2012)』へとつながる路線です。

ここでは《声》を構成する膨大な要素をどう楽器インターフェイスに当てはめて行くかというプラクティカルな課題を通じて、マン・マシン・インターフェイスと身体性の問題、声を五線譜で記譜することの意味、楽譜を見れば10本の指が動く制度化された身体、「規格」を定義することの政治性…などの問題群が立ち上がります。

2つ目はわれわれが「メディアの亡霊性」と呼んでいるテーマです。作品としては録楽+論考作品『フレディの墓/インターナショナル(2009)』、インスタレーション作品『フォルマント兄弟のお化け屋敷(2010)』がそれに当たるでしょう。なぜ「亡霊」なのかと言えば、何よりも《声》には必ずそれを発する「主体」がなければならないという本質論です。

ただの《音》が《声》に聞こえた瞬間、それがどんな機械っぽいチープな人工音声であれ、「声主」の存在が立ち現れてしまう。声とは避け難くそのような現象で、主ぬきの声というのは経験的にも原理的にもあり得ないと思うんですね。じゃ、明らかに機械的に聞こえる人工音声の主体っていったい何だろう? ここに「亡霊」としか呼びようのない存在を深く考える契機が生じ、そしてこれは人工音声に限った話ではなく、メディア・テクノロジー全体に広がる巨大な問題系を照らしている。

でも最近、MIDIアコーディオンを使っていて、この2つがいよいよ融合するような感覚があります。キーボードに比べてアコーディオンで歌わせる人工音声は、格段に生々しいんですね。まずは蛇腹の効果がとても大きい。さらにキーボードだとどうしても登録された音素データをスイッチで呼び出すような発想/聞こえ方になるんですが、新しいボタン規格では演奏者の指に発音を委ねる部分が多くて、その場で肉体的に声を生み出している感じが強い。

この「生々しさ」は、奇妙な体験を引き起こします。膝の上に人工的な発声器官を乗せてコントロールしているというより、別の主体が演奏者の身体を使って声を発しているような錯覚です。これが亡霊の受肉化なのか、ホムンクルスのようなものなのか…いまだにスッキリした答えは見つかっていないのですが。

今後の予定については、まだ具体的に何も決まっていません。「ポルノ映画のアフレコを付けよう。もしそれで興奮させられたらぼくらの勝ち!」などと飲みながら言ってますがどうなるか。ともあれ、意味のある言葉や歌詞を明瞭に発声させる興味より、祈祷とか、イタコとか、恍惚の喘ぎとか、狂声とか、非言語的な声の表現の方に二人とも関心を持っているようです。

 

■レクチャーのご成功をお祈りしております。どうもありがとうございました!

 

◎レクチャーのご案内
地点 カルチベート・プログラム レクチャー2 音/声が生まれる!
日程:2014年12月21日(日)15:00-18:00
登壇:フォルマント兄弟(三輪眞弘、佐近田展康)
場所:アンダースロー,京都
http://chiten.org/underthrow/archives/13

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