JSEM電子音楽カレンダーでは、担当の川崎弘二が、カレンダーに掲載されている各種イベントを「今月のピックアップ」として月イチでご紹介しております。
2015年1月に開催されるイベントから、今回は杉並公会堂(東京)で開催されるコンサート「東京現音計画 #04 ミュージシャンズセレクション 2: 大石将紀」にて委嘱新作を発表される池田拓実さん、そして、2015年3月まで青森県立美術館で開催されている展覧会「青森EARTH 2014」に作品を出品されている松井茂さんをご紹介したいと思います。
池田さんに委嘱新作について、そして、松井さんに出品作についてのお話しを電子メールでお伺いしました。
東京現音計画 #04 ミュージシャンズセレクション 2: 大石将紀
日程:2015年1月14日(水)18:30開場 19:00開演
場所:杉並公会堂 小ホール,東京
池田拓実さんインタビュー
■まず、2014年の池田拓実さんのご活動についていくつかお伺いしたいと思います。2014年は七里圭監督による映画作品の音楽を複数手掛けられています。「To the light 1.0」「音から作る映画」「To the light 2.0」など、七里監督とのコラボレーション作品についてお話しいただけますか。
七里監督作品への参加は、2006年の「ホッテントットエプロン―スケッチ」ライブ上映に演奏者の一人として加わったことに始まります。この映画は全編を通じて台詞がなく、台詞に代わって侘美秀俊さんによる音楽がシーンの重要な要素となっており、ライブ上映ではその音楽をスクリーンに合わせて生演奏します。数回参加しましたが、最初私はPCで電子音を演奏していました。
その後、回を重ねるごとにピエゾピックアップや日用品、塩ビ管などの音具を扱うようになり、徐々にパフォーマンスの側面が強くなりました。当初は、電子音はサウンドトラックに任せても大差なかろうという考えによるものでしたが、そう言えばこの頃から、自分のその他のライブでもPC以外の要素が増えていったように思います。
こうしたライブ上映の延長で、サウンドトラック自体のアップデートを企図した2011年のサウンドリミックス版では、侘美さんと共に多数の音素材を新たに録音しています。通常、映画は一度完成すると大幅な変更は加えられないものと考えますが、七里作品においてはこうしたことが珍しくありません。
建築家の鈴木了二氏との共同監督作品「物質試行52:DUBHOUSE」(2012年)で初めてサウンドトラックを担当し、以後「To the light」連作、「映画としての音楽」へと続きます。「To the light」ではテスト映像を見ながら全く自由に演奏した音源が、ほぼそのまま使用されており、最初から映像作品として固定されたライブ上映のようでもあります。
「映画としての音楽」では、音楽から先行して映画を作るという監督の構想で、オスカー・ワイルド「サロメ」の日夏耿之介による翻訳「院曲撒羅米」の音楽化を行ないました。本年4月に7人のボイスパフォーマーとサウンドトラックによるライブ版を上演し、11月には映画版が公開されました。個々の楽曲については https://www.facebook.com/notes/547771908675618 に簡単な解説を記しています。
「院曲撒羅米」は三島由紀夫が台本に使用したとのことですが、三島が指摘したように難解な語彙と独特の響きを併せ持つ破格の文体で、その印象を元に声楽として再構築するにはどうすればよいか、ということで、ボイスパフォーマーのための作曲、録音と構成の作業を2年にわたって行ないました。作曲と言っても、最初の一曲(と多井智紀さんのヴィオラ・ダ・ガンバのパート)以外は全てテキストで、台詞を加工したり、ある規則に従って演じたり、発声法を指示したりしています。
とはいえ実際にパフォーマーにやってもらいながら、無理だと判明して修正したり、皆でアイディアを出し合ったり、監督が演出をしたりとどんどん変わっていくので、最終的には全員で作り上げた音楽と考えています。パフォーマーも全員がそれぞれの分野でコアな活動を行なっている方々なので、こちらの予想などは簡単に超えるような解釈を加えてきますし、当然のことながら皆さんの名演なくしては成立しない企画でした。
■2014年9月には、南アフリカで開催された電子音楽祭「Unyazi IV」に2チャンネルの電子音楽「Ukuphothela」を出品しておられます。フィクスド・メディアによるものと思われる、こちらの作品が制作された経緯など教えていただけますでしょうか。
「Unyazi IV」リスニングルーム・プログラムのために、キュレーターを務めるカール・ストーンさんからの依頼で新曲を制作しました。2週間という突貫工事でしたが、一つのサウンドファイルのピッチ検出データから全ての素材を生成する方法で作曲しています。フェスティバルでは1日1回、3日間にわたって上演され、12月には東京でも演奏する予定です。
タイトルのUkuphothelaは、南アフリカのンデベレ族の言葉で「ビーズ細工」の意味で、作品で用いた細かい音の集積を示唆しています。直前に国立新美術館「イメージの力」展で、ンデベレを含む各地の工芸品の実物に接したことも影響していると思います。展示では色や光についてのより広範な概念を見ることができ、音も同様に再範疇化することは可能か、というかねてからの問いに私の中では繋がっています。
ところでンデベレは、19世紀にオランダ系移民との衝突によって土地を追われ、一度民族が崩壊しています。そしてその後、民族の再統合を図るための象徴として、カラフルで直線的な意匠が特徴の住居の壁面装飾や、ビーズ細工などの装飾芸術を、およそ50年ほど前という、ごく近年になってから成立させたという特異な「伝統文化」を持っています。特に壁面装飾は、アートとしての認知や観光化の影響により、当初の民族的な意義からも遊離しつつあるようですが、新しい表現が現れる過程についての大変興味深い例と考えます。
■2015年1月に開催される「東京現音計画」のコンサートのために、サクソフォン、チューバ、ピアノ、打楽器、エレクトロニクスのための新作が池田さんに委嘱されています。現時点での新作の構想などお話しいただけますか。
ごく簡単に言えば、サックスのソロが核となり、他のパートが様々にこれを解釈するというものです。コンピュータ音楽的なトピックで言えば、まず今回は、楽器音に反応してプログラムが云々、というようなエレクトロニクスの用法は考えていません。むしろ自分のライブではよく用いる手段なのですが、自分一人ならば万一プログラムがコケても場をつなげられるという前提があります。今回、有馬純寿さんにお願いしようとしているエレクトロニクスのパートについては、ライブエレクトロニクスとしてはこれまであまり行なわれていなかったような、かつ、よりライブ感のあるものにしたいと考えています。
もう一つはサックスに関することですが、委嘱を頂いてから間もなく、大石将紀さんに楽器についてレクチャーをしていただき、その時に現代奏法の教則本をいくつか教えていただきました。そしてそれらを読みながら運指の問題などを考えているうちに、微分音、換え指、重音の全ての運指とピッチを検索できる簡単なデータベースを作ることに自ずとなりました。それから、単音の運指から類似した重音の運指を探す、条件に一致する指の動きから音型を作る、楽譜に運指を表示する、などといった機能をいくつか書いて、自作の作曲用プログラムに組み込んでいます。
ただ、通常意味がないと考えられている運指については、やはり教則本にも記載がないので、ピッチとの関係からキーの働きを推測するということもしてみました。思い余って楽器内部の気柱振動のシミュレーションについても少し調べましたが、高度な知識が要求される上に時間もないので今回は断念しました。漠然と理解した範囲では、指と出音との関係が全く線形的ではないということで、その意味では楽器の存在そのものが驚異と言えます。また、そもそもが不安定な重音などを音組織としてどう捉えるべきか、以前はよくわからなかったのですが、今回データベースを作ってみて音符とシームレスに扱えるようになったことで、何らかの視点を得たように思います。
よく尋ねられることですが、作曲もプログラミングも誰かに就いて習ったことはありません。なので詳しくは判りませんが、勿論こうした楽器の物理については研究されていると思いますし、作曲用プログラムの自筆についても、既にどこかに優れたツールが存在するはずで、自分のしていることはまさに四角い車輪の再発明かも知れません。しかし、ツールとイデオロギーが無縁ではないという考えもあって、結局は自分で作ることになります。
■近年の池田さんの活動はジャンルを超え、多岐にわたっていると思われます。今後のご予定・ご計画など教えていただけますか。
ライブのお知らせ等については http://de-dicto.net/wp または http://i9ed.blogspot.jp をご覧頂ければと思います。現時点で大きな予定は今のところありませんが、まずは1月の初演に注力したいと思います。
活動の幅に関して言えば、現在はライブを中心に行なっていますが、最近はそのうちのいくつかで“音を出すことを目的としない”ということを考えています。例えば、今年9月に声のアーティストで映像・造形作家の山崎阿弥さんと共演した「魔方陣と召喚獣」では、ロープの“演奏”とか、“音をロープのように扱う”などといったことを試みています。まるで頓知噺の様相ですが、自分ではこれを概念の上書きと考えていて、音だけの作品であってもそうした要素を含めたいと常々考えています。
それと、今回は委嘱を頂きましたが、記譜による作曲についてももう少し取り組みたいと考えています。具体的な計画はまだありませんが。
■初演のご成功をお祈りしております。どうもありがとうございました!
◎コンサートのご案内
東京現音計画 #04 ミュージシャンズセレクション 2: 大石将紀
日程:2015年1月14日(水)18:30開場 19:00開演
場所:杉並公会堂 小ホール,東京
・Stefano Gervasoni / Rigirio per sassofono baritono, percussione e pianoforte (2000)
・細川俊夫 / Vertical Time Study II for tenor saxophone, piano and percussion (1993-94)
・Brice Pauset / Adagio dialettico pour saxophone, percussion et piano (2000)
・川上 統 / 羅鱶 サクソフォン、チューバ、エレクトロニクスのための (2013)
・池田拓実 / 新作委嘱 サクソフォン、チューバ、ピアノ、打楽器、エレクトロニクスのための (2014)
有馬純寿: electronics, 大石将紀: sax, 神田佳子: perc, 黒田亜樹: pf, 橋本晋哉: tub
青森EARTH 2014
日程:2014年12月2日(火)〜 2015年3月22日(日)
場所:青森県立美術館
松井 茂さんインタビュー
■松井さんにも、まず、2014年のご活動についていくつかお伺いしたいと思います。2014年3月にはカリフォルニア大学にてシニギワ名義による作品「Roadside Picnic」が公開され、この作品は2014年6月には東京のNADiff galleryでも展示されています。「Roadside Picnic」は、2012年12月に「AMC SOUND PROJECT 2012」にて公開されたバージョン、2013年3月に日本電子音楽協会のイベント「時代を超える電子音楽」にて上演されたバージョン、そして、2014年3月にリリースされたDVD版など、さまざまな機会に形を変えつつ発表されてきています。長嶌寛幸さんとのコラボレーションによる「Roadside Picnic」という作品の変遷などについてお話しいただけますか。
松井 シニギワは、もともとライブ・エレクトロニクスでレクチャーをするバンドという活動としてはじまりました。しかし「Roadside Picnic」は、当初のテーマから踏み出して、はじめからサウンド・インスタレーションとして制作して、それが最終的に映画になったわけです。例によって、長嶌さんとの雑談が、ワーク・イン・プログレスみたいに展開したということなんです。雑談ですから、論理的な展開でもないのですが、暫定的な主題は、3つあったと振り返っておきたいと思います。
雑談その1。アクースモニウムというのがありますけど、私見では、再生環境がフレキシブルすぎるというか、その場その場で変わりすぎる印象を持っています。どれほど作品のアイデンティティがあるのか、あるいはオペレーションこそを作品としているのか、僕にはいまひとつわからない。音響システムも、最終的にはなんでもいいってことなのだろろうかと思えてしまう。もちろん挑発的に言ってるんですけどね(苦笑)。いずれにしてもシニギワは、いわゆるアクースモニウムはやらない方針で考えてみようということになりました。それで長嶌さんの領域であるところの映画館のサウンド・システムは、近年かなり規格化されているわけで、高いクオリティで安定した環境になっていることを改めて自覚したわけです。それで、再現性の高い、映画のサウンド・デザインという領域で、映像無しのサウンド・インスタレーションを試すことにしました。
雑談その2。シニギワのもともとのコンセプトはレクチャーですから、音声をテーマにしているわけです。音声の調整によって、抑揚の伸縮は、何かを読み上げるような台詞的なニュアンスや朗読、あるいは即興的な対話風とか、ときには歌のようにもなります。こうした口語のフォームを複数あつかっているわけですね。映画のサウンド・デザインは、映画館のサウンド・システムに対応した文法があります。例えば台詞は前のスピーカーから出てくると決まっている。物語映画であれば、明確な台詞と、環境音や音楽を分離する文法が明確にあるわけですけど、弁別し難い音声、あるいはフォームからフォームへの移行をシニギワはテーマにしています。だから映画のサウンド・システム上で、こうした文法を批評的にあつかってみようと考えたわけです。映画の文法に親和性と対立を持ち込む挑戦だったわけです。
雑談その3。映画館のサウンド・システムを前提にインスタレーションをつくったわけですが、サウンド・デザインは、通常ポスト・プロダクションとよばれる作業です。つまり、映画本来のワークフローで考えれば、最後を最初にやってしまった。サウンド・デザインの文法に挑発的に関わるのだから、ワークフローに対しても挑戦してみようということで、あとから映像をつけるということになって、映画監督の加藤直輝さんに依頼することにしました。
こんな具合で、サウンド・インスタレーションからはじまってスクリーニングにもなったという数奇な作品です。ロードショーでもダウンロードできますが(http://loadshow.jp/film/48)、2015年の恵比寿映像祭で上映される予定なので、ぜひ劇場で見て、聴いていただきたい。蛇足ですが、シニギワのデビューは、2012年の恵比寿映像祭でのライブでした。ライブ・エレクトロニクスが映画になってしまったわけですが、またライブもしたいと思っています。
■2014年4月にリリースされた嶽本野ばらさんのCD、「初音ミクの結婚」には松井さんの「量子詩」が使用されています。このCDに松井さんの詩の朗読が収録されることになった経緯など教えていただけますか。
松井 殆ど僕は関わってないんですよね。嶽本さんがどういうきっかけで興味をもってくださったのか、よく知らないのですが、熱烈な連絡をいただきありがたいなと思いました。僕、初音ミクとかに詳しいわけではないので、これは音楽になってしまうのかと思っていたら、ちゃんと(?)朗読していて驚きました。「量子詩」は天気予報で構成した詩ですからシミュレーションなわけで、人間が朗読するよりも、ヴァーチャルな手法という意味で、絶妙な組み合わせになった気がしています。非常に気に入っていますよ。いまでは最初から自分が関わっていたかのように吹聴しています(笑)。
■2014年12月から2015年3月にかけて青森県立美術館にて開催される「青森EARTH 2014」という展覧会に、「松井茂+王子直紀+仲井朋子」という名義で作品をご出品されるとのことで、青森県立美術館のウェブサイトでは「青森の縄文を代表する遺構の一つ「環状列石(ストーンサークル)」を切り口に縄文と現代を往還する世界認識のあり方について問う」展覧会であると紹介されています。松井さんのチームが出品される作品の、現時点での新作の構想などお話しいただけますか。
松井 美術館の依頼は、初音ミクの「量子詩」でした(笑)。まぁ、「量子詩」の予報を予言としてみれば、縄文のシャーマニズムとシミュレーションはなんらかの現在性をあらわすわけです。ただ経験的に量子詩って、展示には向かないのですよね。メールで配信している分にはいいのですが、展示としては見せ方が難しい。文字を出力して額装したりということを昨年も栃木県立美術館の展覧会でしましたが、どうも釈然としない。そういうこともあったので、青森には、音声詩「時の声」を提案しました。テーマとの接点としては、僕自身の「時の声」の人工的な呪性みたいなニュアンスもありますが、タイトルに引用(盗用?)しているJ・G・バラードのSF小説『時の声』に遡って、時間とメディアを考えられれば、縄文という時空的な距離を、『時の声』がテーマとする宇宙規模の空間性と関連づけて考えられるのではないかと提案しました。
僕の「時の声」は、音声による記録と痕跡のメディア性を作品とするようなコンセプトです。音楽的な観点でいえば、録音という作業は、口承でも可能だし、当然記譜もできるし、文字でよりニュアンスを記述することも可能で、さらには写真でもできる。環境音がなんらかの場の記録であるとすれば、こうしたメディア間の変換作業において、記録の捨象あるいは抽象化を行ってきたことは、古来からの芸術の主題であるミメーシスの問題構成に他なりません。そうしてメディアを相対化することが、複製技術時代以降の芸術ではより顕著になっているわけですね。絵画の歴史だって、実像に対して虚像がいかに自立した人工物になりえるかという性格を見出せるけれども、写真、映画、放送、電子音楽、印刷技術などは、メディアそれ自体がもろに虚像を主題としてきたわけです。特に電子音楽においては、ミュージック・コンクレートは先鋭的な虚像へのアプローチだったはずで、音声詩「時の声」の着想もそのへんにあります。環境音を音楽に、音楽を詩に転写していくような、メディアの変換の間に作品性が漂って、オーディエンスは常になにかを補完しながら、自ら再生機械の役割を帯びるわけです。
今回の展示では、王子直紀さんが撮影した写真──2010年の展示記録でもあり、詩集に使用したイメージだからレイアウトされた紙面でもある──と、仲井朋子さんによるサウンド・インスタレーションを準備しています。仲井さんは、展示会場で写真の「時の声」を視聴する──内部観測する──オーディエンスの足音を入力として、写真が保持する実像の外延をスキャンしているといえるでしょう。オーディエンスは、仲井さんのメディエーションによって、詩を読む身体を自ら感知することになるわけです。僕としては、インタラクションということよりも、「時の声」を読む身体の共震の意識化を狙いと考えたので、今回はライブ性にこだわってみました。展示場所が通路のような空間なのですが、この場自体が、ライブ・エレクトロニクス作品のようになれば、と思います。とは言え、いまこのインタビューに青森で搬入しながら応えている次第で、うまくいっているのかはまだわかりません。ぜひ、青森まで来て、事の次第を確認していただきたい。
■近年の松井さんもテレビ研究、建築などの多彩な方面でもご活躍されています。今後のご予定・ご計画など教えていただけますか。
松井 僕の研究は、基本的に批評として行っているつもりで、批評自体、メタ的な意味ですが、詩だと考えています。特にメディアへの関心は、記号論的な構造分析への抵抗みたいなもので、いわば装置とか、器官みたいな捉え方で詩を捉える方法として考えはじめた気がします。
例えば「テレビ」という語は、記号論的な分析だと「放送システム」「番組」「モニター」の3つに弁別していきますが、テレビ・メディアってむしろ弁別できない包括的な器官として捉えないと意味無いわけですよね。メディアに注目することで、絵画やテレビ放送、詩やデザインを、あえて同列に並べて、混沌としたまま捉える方法を見出したい。その表明にあたっては、研究の形式をとることもあれば、音声詩の形式をとることもありうるわけですね。当然のことですが、僕にとっては、それぞれが相関関係を持っているわけです。そういった観点では、電子音楽は放送文化というマス・メディアを基盤にして登場した分野ですけれど、それ故にプロデューサーと作曲家とエンジニアがいて、ときには詩人も関わるといった、組織的な作品として成立します。研究の第一段階としては、この役割分担を解体して、個別のテクノロジーを検証したり、個人の作業に還元するわけだけれども、僕自身の目的としては、どうして領域横断的に、包摂的な作品が構成されたのか? 特に1960年代の電子音楽に見られる、作品のオーガニックな性格の背景を探りたいわけです。
例えば、先述した「Roadside Picnic」も、勅使河原宏が監督した『白い朝』(1964年)をリファレンスしているとも言える。それはつまり、武満徹(作曲家)と奥山重之助(エンジニア)が先にサウンド・デザインをして、安部公房(作家)が脚本を書いて、最終的に映画が完成した。こういうことを検証するために、奥山さんにインタビューもしますし、自分たちでも制作を通して考えてみたわけです。いずれにしても、現在の芸術において、メディア・テクノロジーを相対化しないわけにはいかないはずで、メディア・アートという語も定義不能な死語の領域に入るくらい、通常のアートに包摂されてきていると思います。電子音楽にも似た状況があるはずで、コンピュータを介在しない作品のほうが珍しい。そうなってきたことで、僕は、スタッフの編成を含めて、ワーク・フロー考えるところから制作をしてみたいと思っているわけです。そういう際にコミュニケーションの手法として、研究ということが含まれているような気もします。論文か作品かと分類することは、あまり意味がなくなってきているのかもしれませんね。
以下は宣伝になりますが、いま手がけていることとしては、青森の展示の他に、監修した「磯崎新12×5=60」展(ワタリウム美術館)が2015年1月12日まで開催しているのでお運びいただきたいのと、2月に、松平頼暁さんの作曲で「A person has let the “Kelly” out of the bottle」という合唱曲が初演されます。『洪水』の松平頼暁特集に掲載した詩です。この詩はアリスをテーマにしたイベントのために書いたもので、以前から継続している、検索エンジンと翻訳ソフトで生成した作品です。たぶん合唱団を使うけど、声を合わせない曲に仕上がっているんじゃないでしょうか。
■展覧会のご成功をお祈りしております。どうもありがとうございました!
◎展覧会のご案内
青森EARTH 2014
日程:2014年12月2日(火)〜 2015年3月22日(日)
場所:青森県立美術館
■第1部 豊島弘尚
■第2部 菅谷奈緒,松井茂+王子直紀+仲井朋子,松江泰治,村上善男,吉増剛造