JSEM電子音楽カレンダーでは、担当の川崎弘二がカレンダーに掲載されている各種イベントをご紹介していきたいと考えております。
2014年11月に開催されるイベントから、今回は京都芸術センターで開催されるコンサー ト「安野太郎のゾンビ音楽『死の舞踏』」をピックアップいたします。
このコンサートにご出演される安野太郎さんに、今回のコンサートについてのお話しを電子メールでお伺いしました。
■ロボットによって演奏される音楽を「ゾンビ音楽」と名付けられた経緯についてお話しいただけますか。
ロボットによって演奏される音楽はだいたいが「人間指向」によるものと考えています。
例えば、既存の曲をロボットが演奏するようなものです。人間の真似をしているので、人間指向です。
ロボットによって演奏される新作の音楽もあります。ロボットというより自動演奏ピアノですが、コンロン・ナンカロウの音楽とかもそうだと思います。
これは、既存の曲ではありませんが、ピアノのために作曲されているので、ドレミの世界で作られている音楽です。これも人間の世界で規定された音楽の枠内でのロボット音楽なので、僕は人間指向の音楽と捉えます。
ゾンビ音楽はそのどれでもなく、「非─人間指向」のロボット音楽だと考えています。ですが、ゾンビ音楽は既存の楽器を使っています。既存の楽器を使うことによって、ギリギリ人間の姿を留めているつもりです。
ギリギリ人間の姿を留めているけど人間ではない、「非─人間」の存在として浮かんだ名前が「ゾンビ」でした。
よく打楽器やピアノのゾンビ音楽は作れないのか聞かれますが、打楽器は叩けばほぼ想定内の音が出るし、ピアノも想定内のドレミの音が出るので、人間の規定した枠からは出られません。
だから、打楽器やピアノのゾンビ音楽は作れないと言っています。いまのところ僕のアイデアでは、ゾンビ音楽を実現できるのは木管楽器だけです。
■ゾンビ音楽は、デュエット、カルテットとその規模を拡大しておられます。ゾンビ音楽はどのように進化してきたのでしょうか。
デュエットとカルテットではただ楽器が増えた以上の意味合いが西洋音楽の中ではあると思います。
ソロやデュエットだけでは、まだ実験段階という感じがしますが、カルテットにしたことによって、ゾンビ音楽の基本ができたと思っています。ゾンビ音楽の可能性がそうとう広いということが見せられました。
■これまでのゾンビ音楽のコンサートでは、自主製作による映画とゾンビ音楽を交互に上映するというスタイルもとっておられます。ゾンビ音楽における映画の位置づけについてお話しいただけますか。
ゾンビ音楽の音楽だけのプレゼンテーションだと、狭い聴衆にしかゾンビ音楽のこと伝わらないんじゃないかなと思って、ゾンビ音楽の背景もひっくるめてプレゼンテーションするつもりで映画を作っていました。
ですが、今思うと映画をくっつけたことによって広い聴衆に訴えたかというと、観客の動員とか考えるとそうでもないなと思ったりしています。だからといって映画作らなくてもよかったかというと、そうではありません。
苦労して慣れない映画まで作ったことによって僕自身がかなりゾンビ音楽の世界にどっぷり入り込んだというか。追い込むことができたと思います。
作曲家がロボットを“つくってみた”、“作曲してみた”、“演奏させてみた”だけではおさまりたくなかったし、それだけではおさまらないのっぴきならないものがゾンビ音楽にはあるのです。
1作目(DUET~)の映画は、フランケンシュタインがモチーフで、フランケンシュタイン博士の物語と、僕と自動演奏機械の物語を重ねたようなストーリーになっています。
2作目(QUARTET~)の映画は、震災以降の日本を、ゾンビディザスター・フィルムのストーリーにまとめています。
太平洋沿岸からゾンビがあらわれたり、避難所をゾンビが襲ったり、国会議事堂前をゾンビが行進したり。
ゾンビ発生の原因が直接原子力発電所とは言っていませんが、あきらかにそんな感じに見えると思います。
避難所がゾンビによって陥落する場面で弦楽四重奏を弾いてるシーンなどは、映画のタイタニックをほとんどそのまんま参照しています。
当時のテクノロジーの象徴である豪華客船の沈没と、現代のテクノロジーの象徴である原子力発電所の事故を重ねました。
最後のシーンは、「バタリアン」を参照して、アメリカ軍が核を落として全部解決するみたいにしようかと最初は思ったのですが、なんかシャレになんない感じがして止めて、黒沢明の「夢」を参照しました。
■今回の京都のコンサートでは新作が公開されると伺っております。新作はどのような作品になるのか、また、全体的なコンサートの構想についてお話しいただけますか。
新作は、フルートとクラリネットとテナーサックスの三重奏を予定しています。
これまでの樹脂製のリコーダーとは違って、ワンランク上の格調高い楽器によるゾンビ音楽を作っています。
リコーダーで作っていた時は、リコーダーという楽器のプリミティブさがいい味出している面もあったのですが、今回は楽器の構造がしっかりしていて、めちゃくちゃな指使いをしてもあまり音響に変化がないようなものになるんじゃないかとうっすら懸念してヒヤヒヤしています。ですが今回は指使いの機械化だけではない、ワンランク上の技術も導入してるので、なんとかなるんではないかと思っています。
とはいえ、まだ出来上がっていないのでなんとも言えません。今日もこれからさいたま市の公民館の工作室を借り切って作業をしてきます。
そして、今回はさっき話した自主制作の映画は作らず、純粋なコンサート形式にしようと思っています。
音楽的な心配がある中音楽に集中するという暴挙に出るのですが、大失敗してもいいやと腹をくくっています。
演奏会のテーマは、「死の舞踏」なのですが、世にはびこるゾンビ物のルーツとして「死の舞踏」というテーマにぶつかりました。
※死の舞踏
これまでは、クラシック音楽では、サン=サーンスやリストの「死の舞踏」が有名だと思います。リストのは壮絶ですが、サン=サーンスはわかりやすいですね。
ポップスでもマイケル・ジャクソンの「スリラー」があったりして。これも、時空を隔てて「死の舞踏」のテーマが表面化した表現だと解釈できるんじゃないかと思っています。
「ゾンビ音楽」もこの「死の舞踏」のテーマを無視するわけにはいかないなと思って、今回のコンサートの題名にしました。
というか、ゾンビ音楽自体が、機械と音楽の関係性から生まれた「死の舞踏」の音楽と言った方がいいのかも知れないです。
サン=サーンスの死の舞踏みたいな、骸骨が踊ってる情景を音楽で表現しているのではなくて。ゾンビ音楽の背景がすでに死の舞踏だみたいな。
■今後、ゾンビ音楽はどのような展開を予定しておられますでしょうか。
まず、京都での新作を他の場所でも再演できたらと思っています。
それと、掃除機ロボットのルンバにリコーダーとソレノイドの指を合体させて、動き回るゾンビ音楽を作っています。
技術的なところはもうクリアしていて、京都の初演が終わったらもう作るだけです。ついにゾンビが動きます。
ルンバを販売しているiRobot社の企業理念みたいなのに、「3D Dull、Dirty、Dangerous(退屈、不衛生、危険)な仕事から人々を解放する」という理念があって、これはつまり奴隷だなーと思いました。ブルーノートが生まれた背景に黒人奴隷のストーリーがあるように、ゾンビ音楽のゾンビノートと言ってもいいような音響にもロボットの奴隷的な背景があるんです。
あと、水面下でゾンビ音楽をベースにしたオペラの計画があります。
ゾンビ音楽は英語にすると、ZOMBIE MUSICなので、ALを足すとMUSICALになるので、はじめはゾンビミュージカルにしようかと思いました。でも、ミュージカルとオペラの違いがエンタメとアートだとするなら、エンタメでは無いだろうということで、オペラということにしました。
まだ計画段階なので、どういうものになるのか、詳しくは話せません。
自分が中心となって舞台作品を創作することは、経験も無いので大変そうですが、面白い試みを提示していければと思っています。
■コンサートのご成功をお祈りしております。どうもありがとうございました!
◎コンサートのご案内
若手作曲家シリーズ2 安野太郎のゾンビ音楽「死の舞踏」
日 程:2014年11月9日(日) 18:30開場 19:00開演
場 所:京都芸術センター 講堂
http://www.kac.or.jp/
◎CDのご案内
安野太郎 Duet of the Living Dead