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2017/08/27 Reflect the Glimmering Breath

題:「Reflect the Glimmering Breath
日:2017年8月27日(日)
時:17時00分開場/17時30分開演
場:蔵織(新潟市中央区西堀前通1-700)web>> http://www2.craole.jp/
金:2500円
出演:映像:遠藤龍
   オブジェクト:タンジェントデザイン(高橋悠+高橋香苗)
   音楽:福島諭/尺八:福島麗秋
後援:日本電子音楽協会
Reflect the Glimmering Breath」によせて Jul.25,2017
 世界は隠喩で満ちている。比喩としての機能を充分に確立しないまま結ばれてはまた消えていく意識の総体があるとして、それらの中のそのほんの一角であるにも関わらず、それでもなお、今世界は膨大な隠喩で満ち溢れているように感じられるのである。
 このように感じるようになったのは「花言葉」という古くからの風習が、あらためていま、全く不思議なものだと考えるようになったからである。花言葉は、花にまつわる逸話や印象をもとにして、それらを象徴する一つまたは数種の単語を人間が花に与えたものである。起源は諸説あるようだが、様々な思想や感情をあらわし他者へ伝達するために古代より使われてきた風習のようである(※1)。一方で今私の周りで花とそれを象徴する花言葉とをすぐに言える人はほとんどいない。私自身も言えないし、花それ自体の印象と花言葉との間に一見して結びつかないと感じるものも多い。ここにはその花の象徴するものが何なのかという、共通の理解があまりにも欠落しているのではないか。対象である花について、もっと具体的な印象(香りや肌触り、四季の中での役割)などの経験が圧倒的に必要なのではないか。しかし、我々はいまそれほどまでに植物と向き合う時間を持てるのだろうか。そう考えると、もはや花言葉という風習は現代の生活サイクルにはそぐわず、今後も風習と実感との間にある明らかな断裂は広がっていくのかもしれない。「花言葉」について考える中で、この対象と隠喩(メタファー)との関係に惹きつけられながらも、同時に現代の中での有用性の無さについて考えてしまう。少なくとも、こうした状況の中では「新しい花言葉」が生まれるということはたして有り得るのだろうか。
 一方で私たちが今、日常生活で最も多く接しているのはコンピュータやスマートフォンのディスプレイかもしれない。その画像再現における表現法の多くはR G B(Red Green Blueの3原色)というカラーモデルに従っている。24bitフルカラーの場合、それらの数値は3つの原色の各要素がわずか0から255の数値範囲(8bit)を持つのみであり、その組み合わせによって一つのピクセルの色が決定される。それでも一つのピクセルが表示できる色の組み合わせは原理的には16,777,216種類のバリエーションがある。さらに1枚の画像を考えた場合、その解像度に応じた膨大なピクセル数の組み合わせによってその1枚の画像は成り立っている。日常における情報伝達の多くの部分はもう既に、この画像原理によって成り立っている。普段は意識することはないが、こうした画像に対して、そのRGB情報に何らかの操作を行えばどうなるか。たちまち意味は崩壊してしまうだろう。しかし、そんな危うさすら意識することなしに、ディスプレイは何かを表し、人間に機能し、私たちは日常的に情報を受け取り続けている。気づけば、自宅に居ながらどこか異国へ旅に出たような気持ちにすらなっているのである。
 意味はどのように生まれるのか、そしてどのように定着していくのか。さらに言えば、そこから互いの意味の結びつき、創造的な結びつき、隠喩(メタファー)、などはどうやって形成されるのか。こうした情報のやり取りは、どのようなレベルであれ人の営みの一部でありコミュニケーションの本質を成している。そして視覚情報だけにも限定されない。極めて簡略化すれば、少なくともそれらは記憶と時間との要素が不可欠に関わっている。あとはその見方のスケールの問題であるかもしれない。もっとも大きなスケールでみれば人生や歴史、都市、環境、宇宙などそれこそあらゆる相とも関係してくることでもあろうが、例えば、これらのスケールの組み合わせである条件が揃ったものは音楽である。そして他の条件では、映像であり、オブジェであるかもしれない。
 「Reflect the Glimmering Breath」(かすかに光る 呼吸 を反響させよ)。この、それ自体はまだ明確な意味のない言葉は、R G Bの頭文字に本来の意味とは異なる単語を充てたものである。例えばこのような文字列を冠として、各作家が取り組んだらどのようなものを生み出そうとするのだろうか。主に映像では遠藤龍が、プロダクトの制作ではタンジェントデザインが、音楽では福島諭(尺八奏者に福島麗秋を迎える)が担当する。

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