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10月 28

JSEM電子音楽カレンダー/2015年11月のピックアップ

 

JSEM電子音楽カレンダーでは、担当の川崎弘二が、カレンダーに掲載されている各種イベントを「今月のピックアップ」として月イチでご紹介しております。

2015 年 11 月に開催されるイベントから、今回は 11 月 20 日 (金) から 23 日 (月) にかけて、アトリエ劇研(京都)にて開催される「桑折 現×木藤純子×中川裕貴『CH』」をピックアップいたします。この舞台作品に参加される中川裕貴さんに電子メールでお話しをお伺いしました。

 

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桑折 現×木藤純子×中川裕貴「CH」
日 程:2015 年 11 月 20 日 (金) 19:00、21 日 (土) 19:00、22 日 (日) 14:00/19:00、23 日 (月・祝) 14:00
会 場:アトリエ劇研(京都)
料 金:A席=2,500円、S席=3,000円 (前売のみ)、B席=1,500円 (音楽鑑賞席)、Z席=8,000円 (各公演1席/前売のみ/鑑賞特典含む) ※A席、B席の当日券は+300円

演奏:中川裕貴、バンド
美術:木藤純子
演出:桑折 現
音響:甲田 徹
照明:筆谷亮也
舞台美術制作:大村大悟

http://ch2015nov.tumblr.com

 

■中川さんは、2008年に同志社大学工学部 情報システムデザイン学科を卒業され、2010年に京都市立芸術大学大学院 音楽研究科(音響心理学/聴覚専攻)を修了されています。芸術大学の大学院に進学された経緯や、主にチェロを用いた作曲・演奏・演出などの活動をされるようになった経緯についてお話しいただけますか。

高校時代より音に興味があり、音楽の情報処理に関する研究が行われていた同志社大学工学部(現在は理工学部)に進学し、柳田益造先生の研究室に在籍しました(余談ですが、柳田先生は1970年の大阪万博において西ドイツ館アウディトリウムでミキサーを務められており、研究室ではその当時のお話しを何度か聴かせて頂きました)。

芸術大学の大学院に進学した経緯ですが、大学のときから、音楽の情報処理やソフト開発より、ヒトの聴覚や音楽に対する認知/認識について興味を持っており(卒業論文は音楽の終止時に感じる調性的期待について、心理実験を元にその認知過程を解析したものでした)、より聴覚や認知に基づいた研究がしたいと考え、津崎 実先生がおられる京都市立芸術大学音楽研究科に進学しました。

大学院では「聴覚における寸法情報の知覚と聴覚情景分析」(こちらの詳しい内容は津崎先生の下記サイトを参照ください)という内容に取り組み、修士課程を修了しました。芸術大学の大学院に進学したものの、演奏や作曲について教育を受けたわけではなく、研究室でただただ心理実験をしていましたので、個人的には所謂「芸術大学」に行っていた感じはあまりしませんでした。

PHAM – 聴覚・音響・音楽心理学の研究室:http://w3.kcua.ac.jp/~mtsuzaki/index.html

 

上記が大学関係における勉学の話しでして、チェロを用いた音楽活動というのはまた別のものになります(但し研究で取り組んでいた音についてのことが自身の音楽演奏活動の根底にあるとは思います)。楽器については、高校時代からエレキベースを演奏しており、確か大学4年生くらいまではエレキベースを演奏していたと思います。

またそのエレキベースについても、いわゆる普通のエレキベースの演奏(バンドの中でベースパートを担当するといったような)とは異なり、エフェクターを大量に繋げ、いわゆる「ノイズ」的な演奏や即興演奏をやっていました。

そしてチェロについてはここ6年くらいで始めたものでして、最初は楽器を譲り受けたことから始めました。エレキベースからチェロへと楽器は変わりましたが、エフェクターなどを使用するスタイルは変わらず、そしてそこから現在に至るまで、少しずつチェロの特性を生かした演奏、また新しい音楽のかたちについて模索している感じです。

またご指摘の通り、私は自分のプロフィールにおいて「主にチェロを用いた作曲・演奏・演出」と書いていますが、私にとってこの3つの事柄(作曲・演奏・演出)は現在不可分なものでして、それぞれについての解説は、頂いた下記の質問の中でお答えできればと思っています。

 

 

■2015 年 10 月には、UrBANGUILD(京都)にて「中川裕貴 連続 10 時間演奏」というコンサートを開催されています。この 10 時間のコンサートの中で「チェロとテープとわたし(テープ録音を断続的に繰り返しながら「テープの中」で別の作品を創る)」、「今日も電気を使う(ライブエレクトロニクス演奏)」という演目がありました。中川さんはチェロに電子機器を介在させる演奏に取り組んでおられますが、どのようなシステムを使用しておられるのか、また、音楽にエレクトロニクスを介在させる意味や意義について、もし、お考えのことがございましたらお話しいただけますか。

あくまでも私見ですが、楽器や声に対して、電気機器(マイクやピックアップなど)を介在させることというのは、本来は電気増幅、つまり音を大きくし、声や楽器の音を遠くまで響かせること(拡声)がメインの目的だったのではないかと思っています。自身もその目的のために使っている部分もありますが、また別のことを考えている部分もあります。

下記に簡単にではありますが、音楽にエレクトロニクスを介在させることについて、自身が注力している点を記載します。

 

・ 楽器の振動がマイクなどによって電気信号に変えられ、(その楽器そのものとは)別のところから音が出ること。

・ 聴者の側ではなかなか聴こえなかった小さな音を無理やりに立ち上げ、そこに存在させること(拡声されることの無かった音の拡声)。

・ 電気的に反復させることで、“私自身”が音を出す行為を反復する必要がなくなること=音と身体が分離する=音が身体の影のようになること。

 

これは最初の質問への回答も含みますが、チェロという楽器は本来アコースティックな響きを楽しむためのものであると思います。また当たり前のことですが、自分の体を直接的に楽器に接触させて音を出す、非常に「フィジカル」な楽器だと思っています。

ただ自身の場合については、そこに「電気/拡声」というものを持ち込み、またそれによって、自身の「手」を音が離れることで(自分が動かなくても音が鳴る/本来鳴らした場所とは異なる場所にも音が在る)、その楽器そのものの音と拡声された音、また演奏者の身体というものが複合的に見えてくる時間を「演奏」と言う行為の中で創りたいと考えています。

そしてメロディーやリズム、音色というものは勿論ですが、前述の手法を重層させたものがまた「音楽」と呼ばれても良いのではないかと感じ、チェロを使用し、それにエレクトロニクスを介在させながら演奏を行うという手法を取っています。

※中川裕貴 連続 10 時間演奏については下記リンクにテキストなどの情報がまとめてあります。
https://www.dropbox.com/sh/ptr24s7g3fhms67/AACbfp7Z046Ua-ZQdkPUnD4Ia?dl=0

 

■2015 年 6 月に結音茶舗(大阪)にて、江南泰佐さんをゲストに開催された「And play=enso on #3 スピーカーと向こうから/ここまで」というトークイベントを開催されたあとに、「この企画でトークをして、また別の現代音楽や電子音楽絡みのトークや音源などを聴いてざっくり思うことは、「現代音楽」というものはもう「ここ」には無いのだなという感覚です」とプログで発言されています。「『ここ』」には無いのだなという感覚」について、もう少し詳しくご説明していただけますでしょうか。

「現代音楽が『ここ』には無いという感覚」は、端的に言いますと、「現代音楽」と言われてきたものよりも現代音楽なものが、その他に存在してきているということだと思います(どういった音楽がそういったことに該当するのかというのは挙げだすとキリがありませんが、周りを取り巻く様々な音楽が現代音楽より現代音楽だなあと思ってしまうことが多くなってきています)。

これはきわめて個人的な感覚ですが、僕はそう思っており、それが自身の活動を続ける理由のひとつにもなっているかと思います。ひとまとめにすることは本来できないのですが、それを承知の上で言いますと、所謂「現代音楽」とは音楽の在り方を様々な角度から更新、或いは「音楽」に対してこれまでとは別の角度から光を当ててきたものであると思っています。

そういうことを前提としたとき、もちろん現代に音楽はありますが、「現代音楽」や「前衛音楽」と呼ばれるものが随分と形式的なものに追いやられてきている気がします(ある意味ではジャンルとして確立したことは良いことだと思っています)。

加えて「音楽というものはやはり美しく、心躍るもの、また使えるものである」、という側面がある意味では昔より強くなっていているのではないかと思っています(世の中的に、余白や余剰を楽しむ余裕がなくなってきているという風にも言えるかもしれません)。

また音楽の革新の可能性の死滅(私見)、また視覚メディアの発達、音楽そのものよりも別のものが語られるようになった、、、などなどいろいろな理由が前述の想い(あくまでも個人的な)を後押ししているところもあります。もちろん時代は変わっていくことは当たり前で、時代に合わせる必要がいつも在るかと言うと僕はそうは思いませんし、そもそも「現代音楽」とジャンル分けすること自体がナンセンスだと思いますが、ただ自分が憧れ、追い求めてきた半世紀以上前のそれと今自身が感じている「現代音楽」の状態には差があることは事実です。

音楽が時代を予言すると誰かが言っていたかと思いますが、「現代音楽がこの時代を捉えることができているのか? それは可能か? そもそもそうする必要などあるのか?」という問いを自分は抱いており、それに対して自分なりの回答をするのが、活動の主たるもののひとつだと思っています。

比喩的で恐縮ですが、「あの暑かった時代に暑さのせいでどうも見過ごされてしまった部分を、少し冷めた現代において、みつめ直すことは意味があることなのか?」という問いを自身も「現代音楽」と関係を持つ中で抱いています。なので「現代音楽というものはもうここには無いのだなという感覚です」という発言は、「現代音楽」というものがもともと持っていた役割を終えてしまうことへの危機感や自身への戒めにという意味も含まれています。

※すみません、ブログの発言が結構思い付きの部分が多いため、理路整然としていない部分があるかもしれません。

 

■中川さんは演劇のための音楽も多く手掛けておられます。2015 年 10 月には京都芸術センターにおいて上演された、柳沼昭徳さんの作・演出による「劇計画 II 戯曲創作『新・内山』」の音楽を山崎昭典さんとともに担当されています。演劇のための音楽は、ほかの作曲・演奏活動と比べてアプローチの違いはございますでしょうか。また、2013 年から3年の期間をかけて制作された「新・内山」では、上演にあたってどのようなご準備をなさったのかお話しいただけますか。

舞台音楽に関しては、まずテキスト(脚本)があること、そしてそのテキストが暗示する状態(時間や描かれる場所、登場人物の心情の機微)というものが在ることが大きいと思っています。先日の演劇計画もそうでしたが、自身が演劇に音楽を付けていくときには、テキストや実際に演技が行われた空間や状態(自分は舞台音楽を生演奏でつけることが多いです)を見ながらそれに合せていくことが多いです。

ですので自身の純粋な演奏「表現」とは異なり、自分の表現や思考を、舞台やその演じられている状態に投射していくことが多いかと思います。書かれたテキストや生身の俳優から立ち上がってくる光景に音で呼応する感じは、その他のものでは得られない経験があります。またそれと同時に意識していることは、「音楽は音楽で在る」ということです。

先ほど言ったことと少し矛盾する部分があるかもしれませんが、テキストや実際に演技が行われた空間や状態に対して、余りに合わせすぎる/説明的な「音楽」というのはなるべく舞台に与えないように気を付けています。テキストや俳優の演技と音楽が「二度同じことをいう」必要はないと思うので(例えば悲しいシーンだからあからさまに悲しい音楽を演奏するなど)、テキストや演技とはある一定の距離を持ちながら、但しある程度の繋がりを持ち、また「俳優」でも「観客」でもないひとつの存在として、「やるヒト」と「みるヒト」の間のイメージの往復に寄与できるような音の情報を与えることができればと考えています。

※勿論演出家から自分が先ほど述べたような「説明的な音楽」を求められればそうしますが、なるべく自分から率先してそういうことはしないようにしているつもりです(とは言ってもチェロという楽器は非常にその音そのものが説明的だと思うので、いつも舞台との関わり方には苦労しています)。

 

■2015 年 11 月 20 日 (金) から 23 日 (月) にかけて、アトリエ劇研(京都)にて開催される「桑折 現×木藤純子×中川裕貴『CH』」というイベントについて、中川さんはウェブサイトにおいて「音楽でありながら、同時に音楽のいく“軌道を外れて”、自身が存在する術をずっと考えてきました。それはずっと矛盾した論理でしたが、それでも今回の舞台がその一つの答えのようなものになります。」と述べておられます。「CH」における「中川裕貴、バンド」での演奏について、現時点でのプランがもしございましたらお話しいただけますか。

「桑折 現×木藤純子×中川裕貴『CH』」というイベントに関して、あくまでも僕個人の考えではありますが、このイベントでは自身の約 10 年の作曲/演奏/演出生活の一つの結実をお見せできればと考えており、自身のこれまでの音に取り組みについて、「コンサート」という名のもと演奏していきます。

またこのイベントでは、自身とその「バンド」の演奏が「劇場」という場所で繰り広げられることも鍵となってくるかと思います。先の回答にあったような「演劇の舞台音楽」としてではなく、舞台で自身の表現を行うというのは、今回が初めてのことですので、普段自分が演奏してきた場所(自分は主にライブハウスなどで演奏をしてきました)との違いや、そこに介在される「演出(桑折 現さん)」や「美術(木藤純子さん)」を大事にしながら、音楽と、またそこから少し距離を取った(つもりの)自身の存在を確認して貰えたらと思います。

また下記の公式サイトにありますように今回の公演では席種についても趣向を凝らしています。普通の演劇ではちょっと考えられない「音楽鑑賞席=舞台上が観られない席=特殊な席でヘッドフォンなどを使用しコンサートを楽しむ」なども用意し、複数の鑑賞の仕方、観客の存在ということも視野にいれた作品になっています。

桑折 現×木藤純子×中川裕貴『CH』:http://ch2015nov.tumblr.com/

 

■リリースが予定されている「中川裕貴、バンド」のアルバム、「音楽と、軌道を外れた」はどのような内容となるのか、お話しいただけることはございますでしょうか。

まずアルバムリリースに際して、準備していますステートメント(仮)を下記に記載します。

 

(今や様々な歴史を見てみても)最早わたしたちが「音楽」を創ってしまっていることに否定はしないし、それは出来ない。音楽は時間の中に「音」という現象を置いていく、その石(意志)のような連なり、または時間を通じた線のような、道筋=軌道。その軌道(音楽の/音楽への道筋の)から外れることに自らを賭けるということ。そういう行いについての「音楽」。

 

楽器を持って何かするということで、「音楽」が出来上がるということは、ある意味では至極当たり前のことで(勿論それだけで良い音楽が出来ないことは理解した上で)、私もそのサークルの中にいるということは自覚しています。

ただしそのサークルの中にいながら、その運動から離れること、音楽(サークル)の引力に立ち向かうこと、音楽が聴かれ消費されていくことと距離を置くことなどなど、、、「そんなことができないか?」という妄想の域を出ないかもしれない問いに対して、自身の存在を賭けた作品です。リリースはもう少し先になりますが、「音楽と、何か併走するもの」を見つけて頂ければ嬉しいです。

 

 

■今後の活動のご予定について教えていただけますか。

「桑折 現×木藤純子×中川裕貴『CH』」が終わりますと、程なくして、来年1・2月に開催されます、「烏丸ストロークロック 『国道、業火、背高泡立草』@三重県文化会館伊丹アイホールパティオ池鯉鮒」の稽古が始まります。

また前述の「中川裕貴、バンド『音楽と、軌道を外れた』」については来年頭のリリースを予定しており、目下録音の編集中となります。

その先については、まだ何も決まっていませんが、個人的に少しライブ活動やコンサート企画を休ませて頂き、自身のソロ活動についての音源や、歌ものバンドswimmの音源準備などを進めていこうと考えています。また「中川裕貴、バンド」については、音源ができ次第、来年は関西以外でもいくつか演奏ができたらと考えています。

 

■ますますのご活躍を期待しております。この度はどうもありがとうございました!

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